「フラット化する世界」がベストセラーになって数年が経つ。
今では「つながりすぎた世界」なんて本が出るほど進んでいる。
もはやヒト・モノ・カネに国の境界線など関係ない。
一方で政治は一国単位のままだったりすることもあり、
国の輪郭を鮮明にするために隣国との対立が必要になる。
だから中国、韓国はちょっかい出してきて面倒なんだ。
そういえば日本が初めて「国」を意識したのは隣国との紛争。
白村江の戦い(663) の戦いで唐と新羅に敗れた後、
天武天皇(673-686) が国号を「日本」と定めたという。
日本は外圧によって「国」を意識してきた歴史がある。
ヨーロッパ諸国の植民地政策から「国」を守るための鎖国。
ペリー来航後の明治維新、第二次大戦後の経済成長、
といった歴史も日本という「国」を形作るために不可欠だった。
もっと簡単な例をあげれば、北朝鮮は外圧を利用することで、
あの国家体制を延命させることに成功しているわけだ。
今、大規模な紛争を起こして「国」を際立たせようとすると、
「国」はおろか「地球」自体が壊れてしまう時代に変わった。
だから隣国とちっぽけなケンカをする意外に方法がない。
フラット化する世界においては、隣国と仲良くできないってこと。
コメント
自分という存在を明確に認識するためには、
他人を見て、姿・形・性格・行動などについて似ている点や
相違点を見出すことで自分を認識したり定義できるという
話と似たような感じでしょうか?
国境争いであったり、思想の対立、文化の違いから来る
対話のすれ違いや意見の衝突、そういった事があった方が
自国をはっきり意識できるのはそのとおりですよね。
国内で色んな思惑や立場が絡んでまとまらないとき、近隣諸国
を仮想敵国として、その国に対する対立意識によって国内の意見
をまとめたり、不満を仮想敵国のせいにすることでそらしたり。
ある程度は必要なことなんですよね。
ただ、仮想敵国のせいにすることで不満をそらせるからと、国内の
都合の悪いことを全て仮想敵国の仕業として刷り込んだり、事実の
隠蔽・歪曲をし続けると…収集がつかなくなって仲良く出来ない
のレベルを通り越して、妄言に言いがかりだらけとなり、世界中
から孤立したり嫌われてしまうところまでいってしまうという失
敗例もすぐお隣の国で見られますし、対立意識の管理も大事な事
だと感じるこの頃です。
「自分という存在を明確に認識するためには…」
このあたりはまだ研究途上です。
今のところ「自ら存在を明確に認識することはできない」と考えています。だからこそ私たちは他者の瞳の奥にある自己像に意味を見出そうとする。そして最も重要なのが、愛する人が投げ返してくれる自己像。
ただこれが成立するには、相手の幸福の中に自分自身の幸福を見出し続けるという超難関が待ち構えていて…
話が脱線してますが、さらに脱線させると、
ペンギン工房? 私、ペンギンが大好きなんです!
「自らの存在を明確に認識することはできない」ですか。そういわれると、確かにそうですね。投影や相対比較を通してでは精度はあまり期待できない。
そして、愛する人が投げ返してくれる自己象は自分を客観視してくれているため精度高いでしょうけれど、感情フィルターを通して補正がかかっていたいするので、どこまで正確? と問われると微妙な気もしますね。
ところで、まろさん、ぺんぎんお好きですか!?∑(゚□゚;)
なんと奇遇な。うちはペンギン好きからアイコンやその他作って
ますが、その他にも旅先で水族館やらでペンギン見て回ったり。
ペンギンに直に餌をあげられたり、ひざにのせて記念撮影できたり
するところにたまに通ったりしています。
あ、掛川花鳥園というところがそのペンギンに触れられるところです。
行かれた事はありますか?
私のロゴマークはペンギンです。
たとえばブログの記事がよく分からない基準で選定されて転載されるサイトBlogosにも→ http://blogos.com/blogger/stojkovic/article/
そういえば水族館行ったことないですね。
なんか下関の方にもペンギンだらけの水族館があると聞いたことがあり、行ってみたいなぁと思っています。
前にチラッとお話しした講演会は来週リリースできるかなと。10月中旬で最終調整中です。