知性の限界/善が転じて猛威をふるう社会

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私が子供の頃のアニメといえばキン肉マン

王位争奪編の続編の連載がはじまっててビックリ!

悪魔超人編以降は勧善懲悪がハッキリしていたのを思い出す。

最近のアニメがどうなっているのかは分からない。

しかし善悪の割り切れなさが世界を覆っているのはたしかだ。

たとえば、ヒロシマとフクシマの違いを考えれば際立ってくる。

ヒロシマは悪意が生み出した事件で道徳的にも完全に「悪」。

一方のフクシマはグリーンエネルギーの担い手だったはずが、

押し寄せる津波とともに一夜にして「善」から「悪」へ転換した。

正義は一体どこにあるのか?

ジョン・ロールズは契約の中にしか正義を見出せていないのでは?

そして、マイケル・サンデルが3つに分類した正義によれば、

原発の肯定が「幸福の最大化」、否定が「美徳の促進」に属し、

もはや善悪の仕分け作業が不可能に思えてくる。

そして金融システムでも善悪の変容にともなう混乱はたびたびだ。

現代社会の主な脅威は、あからさまな悪意を持ったものではなく、

善意ではじまったものが、何かの拍子で猛威をふるうことにある。

なんとなく人間の「知性の限界」を思い知らされているような。。。

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コメント

  1. 通りすがり より:

    善や悪というものが確たる存在ではないから、善悪の明確な境界がなく、善が悪たりえてその逆もあるのではないかと私は思います。
    山の麓にいる人間には目の前の坂は上り坂になるけれど、山の頂上にいる人間には目の前の坂は下り坂になる、というように個人の置かれてる立場によっても同じ事象について正反対の判断を下しうるから善悪の判断など如何様にでもなるのではないかとも思います。
    柳生宗矩の殺人刀即活人剣。
    「かもしれない」という可能性を考え始めたら、きりがなくて、何もできなくなってしまう。半端な知性はかえって人生を苦しいものにしてしまう。

  2. まろ@管理人 より:

    境界をはっきりさせず、あいまいなままでも、ものごとを進められるのが、かつて非難をされた日本の特徴であり、意外と今になって重要な力だったような。でも日本は最近、歌を忘れたカナリア状態。。。
    オマケで知性の苦しみに関する名言をいくつか。
    「人はほとんど知らないときにのみ知っている。知識とともに疑惑が深まる。」(ゲーテ)
    「知恵は悲しみだ。もっとも多く知る者は、宿命的な真理をもっとも深くなげかねばならぬ。知恵の樹は生命の樹ではないのだ。」(バイロン)