どういうわけか3.11を原発精神論でしか語れなくなった。
原発を動かす動かさない、そんなことは議論の対象ではない。
原発を徐々に減らして他の手法に切り替えていく以外にないから。
※「フォーリン・アフェアーズ・アンソロジー Vol.34」が参考になるかな
じゃあ私が何に関心を寄せているかと問われれば、
- 今後の津波対策をどうするか?
- 偶然を飼いならす「リスク管理」とは一体何か?
東日本大震災の犠牲者のほとんどは津波によるものだ。
ふたたび防波堤、海岸林を設置する方向で話が進んでいるけど、
海外の研究者にはその効果に疑問を抱いている人もいるみたい。
※「natureダイジェスト2012年5月号別冊・震災復興特集」がおもしろい
消費税増税法案は衆議院通過の直前に修正が加えられ、
「税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる中で、我が国経済の需要と供給の状況、消費税率の引上げによる経済への影響等を踏まえ、成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する。」
というわけだから、また無駄遣いしないように議論しないと。
そして津波対策以上に、というか最も重要なのがリスク管理社会の行方。
原発問題の発端はここにあり、サブプライム・ローン問題以降、
私たちはむき出しになった偶然にまったく思考停止の状態。
イアン・ハッキング曰く、ナポレオン時代の終焉とともに、
確率・統計値がだんだん偉そうな顔をするようになり、
その数値でしか自然や社会に潜む危険を語れなくなっていった。
「確率統計によって描いた未来」と「やがて起きる現実」の溝を
「想定外の事故」という言葉でしか埋められなくなってしまったのだ。
リスク管理社会が延命を続ければ、想定外の事故からしか、
新しい展望を生み出すことができなくなってしまう予感。
軟弱なイデオロギーをふりかざしている場合じゃないんだよ。
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