正義のかたちと知性の限界/高坂正堯「国際政治」

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頭の中の振り子が地政学や外交の方へ振れると、
読み返さなきゃ!と思うのが、高坂正堯氏(1934~96)の著作。

といっても、手元には「文明が衰亡するとき」しかなかったので、
先日Kindleでセールをしていた「国際政治」(初版は1966)を読んだ。

なぜ紛争がなくならないのか?

世界から紛争がなくならないのは、

  • 人間には将来を予想する力があり、それゆえ恐怖を抱くから。
  • 国によって正義のかたちは違うから。

「人間は、将来を予見することができるために、おたがいがおたがいを恐れる状況、すなわち、おたがいがおたがいを傷つけうる能力を持ち、それゆえに傷つける意図を持つという状況において、その能力を除去して相互の恐怖をなくするという単純な方法を実行することができないのである。おたがいを傷つける能力がおたがいに恐怖を与え、それが恐怖の原因である能力の削減をさまたげていることが忘れられてはならない。」

恐怖がなくならないから、軍や武器を放棄することはむずかしい。

「国際社会にはいくつもの正義がある。だからそこで語られる正義は特定の正義でしかない。ある国が正しいと思うことは、他の国から見れば誤っているということは、けっしてまれではないのである。そこにも緊張と対立がおこる可能性がある。」

国によって正義のかたちは違うから、緊張と対立はなくならず、

「いかなる管理機関も、すべての主権国家がその運命を託することができるような正義を体現しえない。かかる正義は存在しないし、そこに問題の核心がある。」

それゆえ国際連合のような機関で、ひとつにまとまることはむずかしい。

ネガティブ・スクリーニングへの疑問

ここでいったん脱線。

サステナブル投資の世界では「ネガティブ・スクリーニング」といって、
武器やたばこの製造に携わる企業を投資対象から除外する手法がある。

実際にどのような運用がされているかは分からないのだが、
日本企業でいうと自衛隊への納入元である、三菱重工やIHI等が除外対象?

でも東アジア情勢を勘案すると「防衛のための武器」まで否定するのはおかしい。
日本の機関投資家が、国内の軍事・防衛株への投資を控えた隙間に、
海外の投資家がその企業を買い占めてしまったら、国家機密漏洩の一大事。

このあたりの国防とネガティブ・スクリーニングについて、
はっきりとした議論を見聞きしたことがないのだが。。。
地雷やクラスター爆弾といった人道的な兵器に限られるのだろうか?

わたしたちの知性の限界

本書では先の予想と恐怖の他にも、
わたしたちの知性の限界に言及する一節が散見された。

「昔から、困難な状況に直面したときの人間の態度は、いつも判で押したように同じであった。そんなとき人間は、いつも非難すべき悪い人間や悪いものを見出して、それを血祭りにあげてきたのである。そしてそれは、二重の意味で人間の知的労働を省いてきた。」

そして善悪の境界を強引に引くことで暴力的になってしまう

「われわれはまず、われわれの直面している状況が、これまでに例のないものであることを強調しすぎないようにする必要があるかもしれない。これまで人びとは、困難な状況に直面したときにはほとんどいつも、それがこれまでに例のないものであると主張してきた。そしてそれはほとんどの場合、みずからをなぐさめる言葉にすぎなかったのである。」

思い描いた未来とやってきた現実ととの落差に立ちすくみ、
「想定外」というあきらめの言葉を連呼するばかり。。。

こういった知性の限界は治すことはできないのだから、
特性を知って、起こり得る未来に備えるしかないのだろう。

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