LOVEとLIKEはどう違うのか?

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朝日新聞のCMが気になり調べてみたらサイトがあった。

"LOVE"と"LIKE"はどう違うのか。何で読んだか思い出せないのだが、ある説明に感心して書き留めたことがある。LOVEは異質なものを求め、LIKEは同質なものを求める心の作用なのだそうだ。」(天声人語・2010年11月10日)

なるほど。実に興味深い。

LIKE(好き)の延長線上にあるのが、LOVE(愛)ではない。

facebookで何百、何千のLIKE(いいね!)を集めても、

たったひとつLOVEにもつながらないし、敵わないってこと。

同質と異質には、そのかけがえのなさに、へだたりがありすぎる。

異質なものへの憧れや自分にないものを求める情熱こそが愛。

こんな言葉があった。

人が天から心を授かっているのは、愛するためである。

愛こそが人の心の本質。

それは不完全な人間が自らの成長を願う根源的な欲求なのだ。

でも私たちは1人1人が絶滅危惧種のように異なる存在。

なぜすべての出会いが愛につながらないのだろう?

おそらくこういうことだ。

真の永続的恋愛は、尊敬というものがなければ成立しない。

互いに異なる者同士でも、心に「尊敬」がなければ愛は芽生えない。

そしてLIKE(好き)程度の気持ちでは、やがてうつろい消えてゆく。

だからこそ本当の愛は、めったに得られない貴重なものなのだ。

自分にはない何かを探している時、探しているもの以上のものに出会う…

セレンディピティ(serendipity)に近い感覚かもしれない。

似た者同士で群れ、安心を求めるなら、愛のない世界が広がってしまう。

内なるフロンティアを切り拓き、異質な人との出会いを求め続けよう。

愛に満ちた人生を送るために。

※名言の引用…人生の指針が見つかる 恋愛の名言1300


遅ればせながら、春に送るメッセージでした。

天声人語の「何で読んだか思い出せない…」は九鬼周造っぽい雰囲気。

ちょうどいい文章を見つけたから、引用しておくね。

九鬼周造の言うように、すべて心の出来事は「偶然性」から開示されるのだとすれば、それは「たまたま」であることが大事なのではなくて、ふだんから同一性などを求めずに「異質性との出会い」を求める意思こそが重要だったということになるわけで、そういう覚悟を決めるなら、むしろ「はかなさ」とか「せつなさ」を実感していたほうがいいということになる。「世界の中心は機会から逸れている」のだと感じる知性こそが、実は「粋」なんだというわけだ。

---松岡正剛「千夜千冊・1330夜」より

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