東日本大震災の直後、こんなニュースが目を引いた。
奈良・東大寺が銀行から1億円を借り入れて寄付。
大仏建立時や鎌倉期の復興の際、東北にお世話になったからと…。
平安時代の末期、平清盛により焼き討ちにあった東大寺再建のため、
鎌倉の源頼朝、東北の藤原秀衡への勧進の旅に出かけたのが西行。
ちなみに、最晩年の西行がみちのくへ向かった旅になぞらえて、
西行没後500年を記念して、その足跡をたどる旅をしたのが芭蕉。
さて西行はこの旅で、生涯一と自賛する歌を残している(慈円「拾玉集」)。
旅から帰京後まもなく亡くなったことを考えると、辞世の歌とも言える。
風になびく 富士の煙の 空に消えて
行方も知らぬ わが思ひかな
富士から立ち上る煙は空に吸い込まれて、どこへともなく消えていく。
いつまでも揺れ続ける私の心も、果てはどこへゆくのか分からない。。。
月や桜を見つめながら、無常迅速な人のさだめを詠い続けた西行の境地。
瀬戸内寂聴さんが「白道」で付した解説が俊逸。
「視つめても、視つめても、心は煙のように捕らえどころなく、はては蒼穹に消え去るあの煙のように行方さえはかなくなってしまう。七十年生きて、わが心ひとつがついに捕らえきれないということを、わが心がようやく悟った。それが自分が歌に賭けた答えだったのだ。」P345
西行にとっての和歌は修行の一環だったんだ。なんとなく腑に落ちた。
また、富士山は「かなわぬ想い」への象徴として詠まれることが多く、
古今和歌集・仮名序に「富士の煙によそへて人を恋ひ」と、
紀貫之が書いたように、伝統的に恋歌に詠まれることが多かった。
それも踏まえると出家理由は、やはり白洲正子「西行」が正しいのかな。
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