たぶん書くことが修行なのです

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投資の真理を追い求める!って当初の目標は消えたのに、

なぜそんなに書き続けられるの?と問われて、はて???

その場でパッと答えたのは次の3つ。

  • ブログは脳の外付けバックアップ装置だから
  • 情報を編集することで世界を読み解く方法を探りたいから
  • 心に生じた多彩な想いを純度を高く表現してみたいから

ここでふと思いついた歴史上の偉人を振り返ってみる。

曹洞宗の祖、道元が書いた「正法眼蔵」。

中国で学んだ「禅」の教えを日本語で表現するため、

文章表現することで、より自己と世界の真理に近づくため、

全100巻を目指して亡くなるまで書き続けたとされる大著。

道元にとって「正法眼蔵」を書くことが、ある種の修行だったのでは?

そしての和歌を詠み続けた西行

明恵上人の伝記に、西行唯一の歌論が残されており、

一首読み出でては一体の仏像を造る思ひをなし、一句思ひ続けては秘密の真言を唱ふるに同じ、我れ此の歌によりて法を得ることあり。

すべてを捨てても、なお自分の中に残った和歌への執着。

ならば和歌を詠み続けることが、修行であり仏の真理に通ずる。

道元、西行ともに言語表現を続けることが修行だった。

私も本質的には書くことで人生の修行をしているのかもしれない。

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