アダム・スミスの幸福論/「道徳感情論」より

NHK「100分de名著」の正月特番が「幸福論」だった。
経済学からアダム・スミスの「国富論」が紹介されたので、
堂目卓生「アダム・スミス」を読み返してみた。

スミスは「見えざる手」や「自由放任主義」ってキーワードとともに、 
国富論」を書いた自由主義経済学の祖というイメージが強い。 
でも、スミスの理論は「国富論」に先立って出版された、 
道徳感情論」を忘れていては中途半端な理解になってしまう。

スミスは友人の哲学者ヒュームが「人性論」に描いた、 
正義と道徳をつなぐ絆が「共感」という考えを「道徳感情論」で発展させ、

  1. 私は他人の感情や行為に関心がある
  2. 他人も私の感情や行為に関心を持つだろう
  3. 私は、できるだけ多くの人から是認されたいと思う
  4. 経験によって、私は、諸感情や諸行為のうち、同胞の多くが、あるものを是認し、他のものを否認することを知る
  5. また、経験によって、私は、ある感情または行為が、すべての同胞の是認を得ることはないことを知る
  6. そこで私は、経験をもとに公平な観察者を胸中に形成し、その是認・否認にしたがって自分の感情や行為を判断するようになる
  7. 同時に、私は、胸中の公平な観察者の是認・否認にしたがって他人の感情や行為を判断するようになる
  8. こうして、私は、当事者としても、観察者としても、自分の感情や行為を胸中の公平な観察者が是認できるものに合わせようと努力する

人にはこうした能力があるから、社会に秩序と繁栄がもたらされる、と説く。
つまり他者への共感を土台にした競争が社会秩序と繁栄をもたらす
という文脈で「国富論」で自由主義経済を唱えているんだ。
またスミスは競争に勝って富や地位を得ることが人の幸福ではないと、

健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何をつけ加えることができようか。この境遇にある人に対しては、財産のそれ以上の増加はすべて余計なものだというべきだろう。もし彼が、それらの増加のために大いに気分が浮き立っているとすれば、それはつまらぬ軽はずみの結果であるに違いない。

古今東西で議論され続ける「足るを知る」にも言及している。
スミスにとっての幸福とは富や地位ではなく「心の平静」なのだ。
図解すると、こういうことなのだけど、

はたしてどこからが幻想なのかの判断がむずかしい。
たとえば「お金は時間や自由と反比例するもの」と捉えてみる。
時間には限りがあるし、完全な自由は意外と不自由だ。
このあたりの間合いを見極めれば、心静かに生きられそう。

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界
堂目 卓生
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