ジョン・ボーグルが遺した課題

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今年初めに亡くなったインデックスファンドの神様、ジョン・ボーグル氏。

日本語に翻訳された著書はすべて読んだが、
2008年9月のリーマンショックを挟むように読んだ二冊が思い出深い。
残念ながら今はどちらも絶版になっており入手困難だ。

後者は文量が少ないので、この機会に読み直してみた。
この本でのボーグル氏の主張がまとまった一節はここだろう。

強欲主義が蔓延して、金融システムと企業社会の行く手を脅かしている。その弊害は金銭の問題にとどまらない。「足る」という感覚が失われると、「職業人」としての価値観が堕落する。投資のための資金を委託された「受託者」であるべき人間が、ただの「セールスマン」になり下がる。そして、「信頼」の上に築かれるべきシステムが、「計算」に基づくシステムに変わってしまう。それだけではない。「足る」という感覚がおかしくなると、人生そのものを見誤る。「成功」という名の偽物のウサギを追いかけ、長い目で見ればまるで意味のない、一時的な価値を崇めるようになる。そして、「計算」を超えたところにある不変の価値を大切にしなくなるのだ。

インデックスファンドはどうあるべきか?

前半部の問題意識に対する答えとして示したのがバンガードの設立。

企業と投資家の間をつなぐ金融システムが、
社会から価値を奪うばかりの存在に墜ちたことを憂い、
低コストのインデックスファンドの普及に尽力した。

しかし人の介在をあまり必要としないこの仕組みでは、
「受託責任」や「信頼」を追求するのは難しく、
また分散投資により軽減された投資家のリスクは、
社会全体に転嫁されているのではないかという疑いもある。

近年ではESG等の指標に基づいた企業との対話により、
本来は投資先として好ましくない企業の価値向上を図る、
という方法が解決策の一つとして注目されているように感じる。
となると今のまま低コストを維持することができるのだろうか?

このように現在のインデックス投資は完成形ではなく、
今後も改善を続けることがボーグル氏の遺志に沿うと言えるだろう。

人に長期志向は可能なのか?

また後半部については一人一人の生き方について、
残念ながら人が目先の欲望を抑えることは難しいのではないか。

人に寿命がある限り、自らが存在しない未来にまで想いをはせる、
というのは、かなり高尚な営みであると言わざるを得ない。
少子化が叫ばれ、子孫を残さない人が多い時代ならなおさらのこと。

もちろん行き過ぎた短期志向は、短い人生の中でも悪影響を及ぼすだろう。
だがその人にとって、どのぐらいの期間が短期・長期と言えるかは、
寿命を全うしてみないと分からず、話がさらに難しくなってしまう。

もしかするとこの課題を真に克服するには、不老不死が必要なのかもしれない。

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