鎌倉・室町時代の不動産売買について調べてみたら、
当時の金融政策の迷走など、いろいろ広がったのでメモ。
現代と変わらぬ側面としては、
- 不動産価格は加地子(=小作料)の収益還元法で求められていたと想定される
- 京都が位置する山城国が最も価格が高く、中心から遠ざかると安くなる
支払手段にこの時代の特徴が現れており、
- 鎌倉時代初期は米、室町時代には銭が支払手段の主流に変わる
- 銭建て売買になると不動産価格が不安定な動きになる
銭建ての不動産価格の混乱には次のような背景がある。
日本では鎌倉時代末期の14世紀前半に貨幣経済へ移行し、
たとえばその様子が兼好法師「徒然草」にも現れている。
当時日本で流通する貨幣は、中国から輸入される銅銭だったため、
経済の状況に合わせて流通する通貨量を調節するには貿易が生命線。
にも関わらず室町幕府の貿易に対する姿勢は迷走し、
- 1404年 足利義満(3代将軍)が勘合貿易を開始
- 1411年 足利義持(4代将軍)が貿易を一時停止
- 1432年 足利義教(6代将軍)が復活させるも、明による貿易制限
今でいう金融政策の失敗が、
室町幕府の権威が低下し、戦国乱世へ突入するきっかけの一つだった。
最後に実体経済に比して貨幣の流通量が足りず、
貨幣の価値が高くなることで起こることといえばデフレ。
この時代に埋められた銅銭がつまった壺が出土することが多いらしく、
これは今でいうところのタンス預金なのかもしれない。
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