投資における10年の勘違い

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株式投資において、経済や企業の分析そのものには、何の意味もない。
このことをきちんと受け入れるまで、10年近いの歳月を要してしまった。
20代前半からの10年。ほかにやるべきことが、たくさんあっただろうに…

投資の意志決定の際に、背中を押して欲しい情報や理論を求めているだけ。
何かを分析して、未来を予測しても、それは願望であり、幻想にすぎない。
だから学べば学ぶほど運用成績がよくなる、なんてことはないのだ。

もちろん、投資の分析する仕事は、世の中に存在するけど、
運用ビジネスの一部として成り立っているもので、成績とは関係がない。
顧客への説明責任のために必要なもので、個人投資家には無縁の話。

結局、投資について学ぶことは、過程を楽しむだけのものにすぎない。
たくさんの無駄なものに触れ、時間を浪費した中で最後に残ったのが、
SRI(社会的責任投資)や企業のCSR活動の分野かな。

同じ背中を押してもらうだけの情報なら、私も社会の役に立ってるかも?
って淡い期待を抱けるようなものの方が、心が豊かになれそうだから。
※この間の「イリュージョンなしには生きられない」って話と同じだね。

しかし、本も無意味に読みすぎたよなぁ…。
今になって冷静に振り返れば、投資や資産運用に本当に役立つ本って、
10年前に初版に出会った、木村剛投資戦略の発想法、1冊かも。
世の中にうまい話がないことを、数百ページにわたって書いてるだけだけど。
(たとえ著者が逮捕されても、この本までが輝きを失うことはないからね。)

コメント

  1. いけだ より:

    こんにちは。数年前から読ませていただいてます。
    わたしもまろさんと同年代です。いろいろ悩みも多いですが、まあどうにかやっております。
    個人的意見ですが、「経済や企業の分析そのものには、何の意味もない。」と言い切ってしまわなくてもと思います。そうかもしれませんがそうでないかもしれません。
    ちょうどお寺の話が出てましたが、中庸、バランスを取り続けるということは精神的には辛い作業(修行?)ですが、やはり重要なことなのではないかと思います。
    「経世済民」について興味のある者なら、人にとっての幸せとはなにか悩むのは必要なことだと思っています。むしろそういう人で無ければ、資本という一種の権力を持つべきではないと思っています。
    悩むことは無駄ではない、とこれは私自身に言いたいことです。
    私もいつか投資家として身を立てられるようがんばります。えらそうな文章すいませんでした。

  2. まろ@管理人 より:

    数年前からというと…、その間にブログの内容も投資一色からずいぶん変わりましたが、ずっと読んでいただけて、うれしいです。
    私は、良く言うと「一途」、悪く言うと「極端」。
    ちょっとやりすぎて疲れました。
    今年に入ってから、投資について書くと、ぜんぶ同じことしか書いていないことに気がついたので、次回総まとめを書いて終わりにしようと考えています。
    あ、もちろん、ブログが終わるわけではないので、今後もよろしくおねがいします。