森林との共生に見る一神教と多神教の違い?

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「軍需物資から見た戦国合戦」なる本を読み(取り立ててお薦めはしない)、
武器などに使用される木材の調達が、戦国時代の合戦において非常に重要で、
大名が山守なる山の管理人をおいて、森林の管理に腐心していたことを知った。
同じ時期、ヨーロッパに目を向ければ、大航海時代。
後先考えずに森林を伐採し、船を造る木がなくなった国が敗れ去る。。。
 → 過去記事;「地中海の美しい景色は自然破壊の名残り?

この違いは、やっぱり一神教と多神教の違いから来るものじゃないかな。
日本人って何でも神様にして祭っちゃうじゃない。細部にまで神が宿るというか。
つまり一本一本に神が宿っていると思うから、森を大切にするのかもしれない。
環境問題は多神教国家である日本がリーダーシップをとらねば、と思うのだった。

コメント

  1. ぐっち より:

    自然を「畏れた」日本人と自然を「恐れた」アングロサクソンとの違いですね。
    サミュエル・ハンティントンが大著「文明の衝突」で他の文明とは別に日本だけを一つの「文明」と捉えたのも、こういった日本特有の伝統精神がアングロサクソンの目からみれば特異に映っていたからからだと思います。
    戦後日本の開発ラッシュによる国土改造は日本の歴史上でも異常な出来事だったのかなと思いますが、森林などの自然造形物全てに神が宿るとし、畏れ多いものとして敬う精神というものが日本人のDNAにはやはり存在していると思います。

  2. まろ@管理人 より:

    おぉー、ぐっちさんの文章の方が格調高い感じですね。降参です。
    植林して作った森にお寺を造って神様祭ったりもしてるから(明治神宮)、日本人にとって木と神様は近い存在なのかもしれません。