日本二十六聖人殉教は利休・織部の切腹と同じ構図

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グラバー園を出て、南山手十六番館の売出に驚いた後、

坂を下って現存する日本最古の教会である大浦天主堂へ。

この教会の正式名称は日本二十六聖殉教者堂

大浦天主堂

1596年にスペイン船サン・フェリペ号が土佐に漂着。

調査に赴いた増田長盛が船の乗組員から聞いた

「スペインが征服に先立って宣教師を派遣している」

という話をきっかけに宣教師や信者26名が処刑される。

この殉教者へ捧げるために1865年に建てられた教会。

日本史におけるキリスト教の迫害と言えば、

その死者数から島原の乱(1637~38)の方が強烈な印象だが、

国際的に見ると1597年の事件の方が有名のようだ。

西欧世界ではこの事件について同時代の史料はうなるほどある。その理由は、二十六人の信徒の磔刑という大規模な殉教は、少なくとも近世では、ほかの国では起こったことがなく、ただ古代ローマの大迫害時代にしかその例を見なかったので、全世界のキリスト教徒に戦慄を与えた歴史的事件だったからである。

若桑みどり「クアトロ・ラガッツィ」下巻P291

この事件の背景にはスペインとポルトガルの対立や

イエズス会とフランシスコ会の対立も絡んでいるようだが、

千利休や古田織部が切腹に追い込まれたのと同じ構図だろう。

武力によって天下統一を成し遂げた秀吉や家康にとって、

封建制とは別の価値観で人々を結びつけるものは目の敵となった。

多くの大名が心を奪われた茶道とキリスト教がその対象だったのだ。

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