ちょうど胸中の桜が散った頃だった。
あれから1年。
様々な想いが通り過ぎていく中で残ったものは、
死と向き合うことの大切さ。
地震の直前には重病疑惑をかけられ、夏には身内に不幸もあり、
秋には「今日が人生最後の日だとしたら」と心に残る演説をした、
スティーブ・ジョブズが亡くなる。震災を含め、死との距離が縮まった。
投資の世界を一途に追いかけてみたけれど、
それを取り巻く学問(経済、経営、統計など)は未来に対して無力。
直近数十年に起きた過去を必死になって説明しているだけだった。
未来に関して確かなのは「私たちはいつか死ぬ」ということだけだ。
暗い話をしたいのではない。
若く、明るく、幸福な空気が社会の表面を支配する現代。(代表例:AKB48)
今の社会は死を直視することを嫌っているように見える。
その結果、生の姿を見失い、心の不調を訴える人が多くなったのでは?
振り返ればこの1年、投資の話題が過ぎ去った私のブログでは、
様々な切り口で「今この時の大切さ」を考える記事が多くなっていた。
かねてより愛読していた「徒然草」に加え、最近は道元の「正法眼蔵」。
生死と真剣に向き合った、古典の英知を素直に受けいれたい。
必ず訪れる死から目を背けていては、今この時の大切さは見えないのだ。現在・過去・未来がつながるのは「運命の出会い」に遭遇した時だけ。
目的を遠くへ置き、現在を不確実な未来の手段にしてはいけない。
その時々、興味をひかれた目の前のものを、精一杯楽しめばいい。
夢は叶った後で気付くくらいの生き方がちょうどいいのだ。
生きてある日は今日ばかり。
死と向き合い、今この時を大切に抱きしめながら生きてゆきたい。
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