なぜか私の周りで釈迦(仏陀)が流行っている。
わずか1週間の間に2人から
- 手塚治虫の「ブッダ」を読んでインドの勉強します!
- 釈迦を学ぶなら中村元の本がお薦めです!
なんて話をされ、知を求む人に囲まれていてなんか幸せ。
でも、私自身は釈迦ついて知ってることといえば、
- 一切皆苦(この世はすべて苦しみであり)
- 諸行無常(この世はうつろいゆくのだから)
- 諸法無我(自分自身でさえどうにもならない)
を知り、執着を捨てれば、
- 涅槃寂静(澄んだ境地に至るだろう)
と人間が知るべき真理を説いた人、というところだろうか。
このほかにどんな言葉を遺しているのだろう?
という調子で、まず初めに手にとったのが寂聴さんの本。
釈迦の言葉を紹介して、その後に解説を付ける構成になっている。
「世間の一切のものは虚妄であると知って、貪りを離れ、怒りや憎悪を離れ、迷妄を離れて生きよ。」
「世の中は泡沫の如しと観よ。世の中は陽炎の如しと観よ。」
前者が一切皆苦、後者が諸行無常にあたるのかな。
日本文化の無常の来歴を辿れば釈迦に行き着くのだろう。
※日本で最初に無常を書き残したのはたぶん聖徳太子。
「多くを説くからといって、彼が賢者ではない。心おだやかで、うらむ心なく、恐怖のない人こそが賢者と呼ばれる。」
「死ぬよりも前に、妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、未来に関しても、特に思いわずらうことはない。」
「利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。妄執のために他人に逆らうことがなく、美味に耽溺することもない。」
こうして読むと、賢者への道は険しいね。
遊び心を追求するだけじゃ、賢者になれそうにない。
なんせ私は生涯、美味に耽溺するつもりだから(笑)
コメント
知を探求し、そして悟りの境地に近づくことができた者が賢者
ですか…。
なら私も賢者になんてなりたくないや(ってかなれないけど)
数寄者を目指しましょうかね。
知を求め、足るを知り、無常を知り悟る→賢者
知を求め、身の程を知り(足るを知り)、しかし欲望に忠実に
生きる道を選ぶ→数寄者
といった感じでしょうか。
あ、そうだ!
私、年初に「数寄者」を目指す!って宣言したんでしたね(笑)