たまに読み返す塩野七生「マキアヴェッリ語録」 。
「君主論」で権謀術数を駆使してでも国家を統治べきだ!
と主張した怖い人、というのが一般的なイメージかな。
でもマキアヴェッリの言葉に触れてみると意外と人生論。
- 運命(Fortuna/フォルトゥーナ)
- 力量(Virtu/ヴィルトゥ)
- 時代性(Necessita/ネチエシタ)
という3つのキーワードを頭に入れた上で、
「名声に輝く指導者たちの行為を詳細に検討すれば、彼らがみな、運命からは、機会しか受けなかったことに気づくであろう。・・・機会に恵まれなければ、彼らの力量もあれほど十分に発揮されなかったであろうし、また力量を持ち合わせていなければ、機会も好機にならなかったのである。」P196
「運命は変化するものである。それゆえに人間は、自分流のやり方を続けても時勢に合っている間はうまくいくが、時代の流れにそわなければ失敗するしかない、ということである。」P200
「力量に欠ける人の場合、運命は、より強くその力を発揮する。」P202
中世の宗教観の支配から逃れようとしていたルネサンスの時代。
運命や宿命にあらがうことは、いわば「神々への反逆」だった。
だからマキアヴェッリは「力量」を強調しているのだろう。
でも「力量」という言葉から「力強さ」のみを見出してはいけない。
”Virtu”には「徳」や「美徳」という意味もあるのだから。
「弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが剛いものに勝つ。そのことはだれもが知っているが、行えるものはいない。」(老子・78章)
世間一般に「強さ」から連想される言葉と言えば、
継続、持続、一貫、論理、効率、完全などなど、いろいろだろう。
でも、これらはだいたい勘違いで、真の強さとは無縁の幻想だ。
古来、日本が大切にしていた「はかなさ」のような感覚にこそ、
真の強さや美徳が隠されていると、いつからか考えるなった。
「投資」から「日本」へと私の関心が移った理由はこんなとこかな。
コメント
はかなさゆえに一期一会を大事におもうんだろうな。
大きな変化になれるとほんの少しの変化を見逃す。
いまの時代は、「はかなさ」を見逃してしまうかもしれない。
気づくためには、自分の感度を上げないといけない。
感度を上げるには静けさがいる。
静けさの中で、はかなさを想う時、四季の移ろいが美しい。
新緑がきれいですよね。私はこの季節大好きです。
本当の強さは「美しいものに感動する心」なのかな…
物理的な強さ、権力的な強さという視点では
大きさ・持続性・力強さ・効率性等が主要素になるけれど、
人間的な強さ(心・精神面が主)で見ると、命の機微を感じ取れる
感性、はかなさの中にあるものを観る心が大事なのでしょうか。
そうそう、私も新緑が大好きです。
この次期は紅葉の若葉が透き通るような瑞々しい色で輝いて
ますね。初夏過ぎた頃の苔むした岩や広葉樹のしっとりした
深緑も好きですが。