久しぶりにパスカル「パンセ」を読み返し、
改めて目に止まった断章をメモしておく。
知恵はわれわれを幼年に向かわせる
知恵はわれわれを幼年に向かわせる。(幼子のようにならなければ!)
とくに文脈もないので勝手な解釈になるが、
「知恵」とは「好奇心」や「探究心」ということなのではないか。
幼子のように目に映るものすべてに関心を寄せることが知恵につながる。
もちろん、ひとつの分野をとことん掘り下げるのも好奇心のなせるわざ。
たとえば羽生善治さんが永世七冠を達成後の会見で、
まだ自分には将棋の根本的なことは理解できていないから、
指し続ける中で、何かしらの発見、進歩を感じられた嬉しいと語ったように。
しかし他の断章でパスカルは好奇心を批判している。
好奇心は、虚栄に過ぎない。たいていの場合、人が知ろうとするのは、それを話すためでしかない。
たしかに単なる知識のひけらかしにしかならない好奇心は無意味。
人生をより豊かにするための好奇心を大切にしたいものだ。
敬意とは「めんどうなことをしなさい」である
敬意とは、「めんどうなことをしなさい」である。それは、一見むなしいようだが、きわめて正しいのである。なぜならそれは、「あなたにそれが必要になった場合には、めんどうなことを喜んでいたしましょう。なぜなら、今だって、あなたのお役に立たないのに、めんどうなことを喜んでしているのですから」と言う訳になる。
結局のところ、多くの会社の人事評価は年功序列である。
今回のワールドカップに臨む日本代表の選考もそうであったように、
必ずしも才能や実力で社会の上下関係が決まるわけではない。
「敬意」が会社やチームのバランスを保つといったところか。
パスカルがこれを書いていた頃、
フランスでは「フロンドの乱」と呼ばれる内戦が勃発していた。
国が疲弊するくらいなら、上に立つものが愚か者でも、
本音はどうでもいいから外面的に礼儀を示しておいたほうがマシ。
一周回って為政者への諫言がパスカルの意図だろうか。
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