戦国時代、信長は家臣の関心を土地から茶器へと転換させた。
名器でいただく一服のお茶が戦国の世を動かす原動力になっていた。
でもスケールの大きさでは、茶道はコーヒーにかなわない。
コーヒーは当初、今のような嗜好品ではなかった。
飲むと興奮し眠れない、食欲がなくなるといった負の側面を
イスラム神秘主義の僧侶スーフィーが好んで飲んだのがはじまり。
彼らの教えは、食事や安眠を貪ってはならない、ってものだったから。
イスラム世界で徐々に広まっていったコーヒー。
1554年、トルコのイスタンブールにコーヒー店がオープン。
コーヒーは浮世離れしたスーフィーの手から社交の場へと進出する。
瞬く間にオスマン・トルコ帝国の全土に広がったコーヒー店。
地中海貿易を通じてヨーロッパへとやってくる。
17世紀のヨーロッパでは朝ご飯の飲み物はビールかワイン。
飲み水の確保が難しい都市部の人は、朝っぱらから酔っていた。
だから朝から頭がスッキリするコーヒーは大歓迎で受けいれられた。
1652年、ロンドンにもコーヒー店がオープン。
政治家、思想家、科学者、船乗りなど様々な客が出入りし、
コーヒーカップ片手に情報交換をする場となった。
具体例としてはこんな感じ。
- ピューリタン革命~王政復古の政治討論
- 集まってくる多種多様な情報を「新聞」として発行
- 航海情報をもとにした保険業者の会合
- 株価情報の配信と株式売買の仲介
- 科学知識の情報交換(ハレーやフックも出入り)
コーヒー店に行けば、様々な専門家の生の情報が手に入る。
ロンドン市民の熱狂ぶりを示すデータを紹介すると、
1680~1730年にコーヒーを世界一消費した街がロンドンだった。
情報をつなぐコーヒーは、大航海時代のGoogleだったといえる。
また経済史の観点では、新聞社、保険会社、証券会社は、
コーヒーが引き寄せた情報をもとにはじまった業態だったんだよ。
つづいてコーヒーがフランスの歴史にもらたした話。>>>続きを読む
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