経済の本質ってなんだろう?と疑問が生じたとき、
語源に戻ってみると、おもしろいかもしれない。
「経済」という言葉は「経世済民」の省略語で、
「経世」は荘子、「済民」は書経からとられたものだった。
春秋の経世、先王の志は、聖人は議するも弁ぜず。(荘子・斉物論篇)
これなんじ有神、ねがはくは克く予を相けて、以て兆民を済ひ神の羞を作す無らんことを。(書経・武成篇)
「経」は「おさめる」、「済」は「すくう」と解釈され、
経済の語源である経世済民は「国を治め、民を救う」ことを指していた。
また英語の”economy“の語源は、古代ギリシアの”oikonomia“。
そして”oikonomia”(オイコノミア)は、
- 「家」を意味する”oikos”(オイコス)
- 「規則・規範」を意味する”nomos”
の合成語。
つまり「家計管理」や「財産管理」といった意味合いになる。
ちなみに”oikos”(オイコス)の位置づけを、
“kosmos”(コスモス)と”chaos”(カオス)の間と捉えるなら、
“oikonomia”(オイコノミア)は、秩序と無秩序の間で、
地に足を付けようと、もがいている姿を表していると言えるだろうか。
今では経済と言えば、主に「お金の流れ」を表す言葉だが、
語源をたどると本来は「人」が主体だったことがよく分かる。
オマケで“company”(会社)は、ラテン語で、
「com(共に)」、「panis(パンを食べる)」、「y(仲間)」。
「パンをみんなで分け合って食べる場」が“company”なのである。
近年、投資家が投資先企業で働く人たちにも目を向け始めているが、
忘れていた本質を取り戻そうとする動きなのかもしれないね。
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