今は引きこもりが正義。世間の善悪はコロコロ変わる。

この記事は約2分で読めます。

地元からほとんど動かない生活がすっかり定着した。

年初から何回電車に乗ったか数えてみたら10回。
仕事絡みが2回、健康診断と歯医者が1回ずつ、残りは外食。
自家用車はなく、1度レンタカーを借りて箱根を旅しただけ。

そんな話をすると「大丈夫?」と心配されることもあるが、
本人は「ついに私の時代が来た!」とひそかに喜んでいたりする。
もともと引きこもり気質で外に出るより、家にいるのが好きだから。

本当は2014年には仕事は家で完結できる状態になっていたが、
当時は実家暮らしで、「男は外に出て働くべし」という父の存在があり、
無意味な時間と電車代を使ってオフィスに通っていた。
平日の暇な日は、都立中央図書館まで出かけて本を読んだり。。。

2015年に結婚してからは、しがらみがなくなり、
無駄にしていた移動時間を家事(主に洗濯と料理)に充て、
取材を受けたり、会議がある時だけ、出かければ済むようになった。

そして去年から今年にかけて、COVID-19のおかげで、
地元からまったく動かなくても生活が成り立つようになった。
「時は金なり」という観点からは、今が最善の状態なのである。

これまで世間では、外に出て、たくさんの人と交流することが幸せとされ、
家で一人、読書に興じていたら、可哀想な人と認識されがちだった。
しかし今は、引きこもっていても楽しく暮らせる人が善とされるようになった。
何が善とされるかは、今後もコロコロと変わっていくのだろう。

世の中の善悪の境界なんてものは、単なる思い込みにすぎず、
何かをきっかけに、昨日までの善が明日は悪になったりと、実に曖昧なもの。
世間の評価など気にせず、自分の生き方を貫くべき、という良い例だ。

人付き合いについては、以前まとめた話に付け加えることはほとんどない。

万人にいい顔をして、つまらぬ人からの評価まで気にする必要はない。
今の自分から見て賢者と呼べる人だけに認められればそれでいいのだ。

賢者なんて大それた存在である必要もなく、ごく身近な人でも十分だ。
万人と適当に付き合って、誠意のかけた人生を送るよりも、
たった1人でもたしかな信頼関係を築けた人生に価値があるのだから。

コメント