1999年はバフェットさんにとって最悪の年。
S&Pが21.0%増だったのに対し、バークシャーは0.5%増。
指数に2割以上負けたのは、後にも先にもこの年だけ。
当時アメリカはITバブルの真っ最中で、「理解できない企業は買わない」
という方針のバフェットさんが不振だったことで、
「彼の時代は終わった」とマスコミやアナリストから集中砲火を浴びていたのがこの頃。
バフェットさんが手紙の中でどう語っているのか興味があり、
まずは出だしの部分を日本語訳にチャレンジ♪
それでは、私の下手な翻訳をどーぞ。(今回はいまいちだにゃ)
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1999年度の純資産の増加額は3億5800万ドルでした。Class AとClass B株式の両方の一株当たり簿価を0.5%増加させた計算になります。35年間(すなわち、現在の運用が引き継いだので)の一株当たり簿価は19ドルから3万7987ドル(複利で24.0%)まで成長していました。
この数値は、1999年の私たちの運用成績がどれほど不十分であったかを示しています。私が運用を始めて以来最悪のパフォーマンスであり、またS&Pと比較しても最悪でした。相対的なリターンが悪ければ、時間がたつにつれて、絶対的なリターンにも悪影響を及ぼすことでしょう。
クルーゾー警部(※映画「ピンク・パンサー」登場)でさえ昨年の犯人を見つけることができました。犯人は、バークシャーの会長、私です。私の運用成績は、もの分かりの良いコーチがいたにもかかわらず、成績表が4FやDだったクォーターバックを思い起こさせます。「あなたは1つの科目であまりに多くの時間を費やしすぎていると思いますよ。」と、彼はゆっくり話しました。
その「1つの科目」とは資本配分であり、1999年の私の成績は明らかにD判定です。この原因は、バークシャーの株式ポートフォリオの運用成績であり、このポートフォリオの責任はすべて私にあります。いくつかの大きな投資先が期待はずれな経営成績だったので、1999年のマーケットの波に乗れなかったのです。それでもまだこれらの事業が好きですし、大規模な投資を行っていることに満足しています。しかし、事業のつまずきは私たちの運用成績を傷つけました。また、彼らがすばやく本調子を取り戻すかどうか、確実ではありません。
1999年の私たちの成績に対する報いは、バークシャーの株価下落となって現れました。振返れば1998年、株式のパフォーマンスは、事業よりも優れていました。昨年は、事業のパフォーマンスが、株式よりはるかに好成績でした。その乖離は今現在(※2000年3月1日)も続いています。もちろん、時間がたつにつれて、株式の運用成績は強引にでも事業の運用成績に合わなければなりません。
昨年の私たちの不十分な運用にもかかわらず、私のパートナーであるチャーリーマンガー、と私は控えめに見積もっても、次の10年間のバークシャーの内在価値の増加が、S&Pの上昇を超えると予想しています。もちろん、それを保証できませんが、私たち自身のお金で信念を貫きます。繰り返しお話してきましたが、私の財産の99%以上はバークシャーにあります。妻も私も今までにバークシャーの株式を売却したことがありませんし、そうする意思が全くありません。
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