クリエイティブは無力感から生まれる

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今日は生で糸井重里さんの話を聞く機会に恵まれた。
一番心に響いたのは、
「何かやってみたいことがあるとき、どんなことを、どういう風にやればいい?」
と問われて出てきたことば。

  • まずは分かんないです。何したらいいんだ、なんていうのを分かっていることは、もう簡単なんです。
  • 何をしたらいいか分からなかったときに、実はすべてがはじまってたと思う。
  • 何かあると思ってやってたときよりも、何もないと思ってやってたときの方が、出発点になるんじゃないかな。
  • クリエイティブは無力感からスタートするんじゃないかな。

とくに最後の「クリエイティブは無力感から…」にいろいろ考えさせられた。

先日書いた「あはれ」の変遷を思い出すと、平安貴族の社会が終わりをつげ、
無常観が立ち上がってくる中で、「不足の美」が輝く文化が生み出された。

私自身も過去を投げ捨てて、新しいことを何かしたいと思いつつも、
どうしたらいいのかさっぱり分からない。そんな無力感の中をさまよってる。
でもきっと、すでに何かがはじまっている。そう希望が持てる至言だった。

コメント

  1. 匿名 より:

    本当に多才な方。いえ「多彩」という表現が正しいかもしれません。
    ただその代わり、周囲の理解を得るのは難しいのでしょうか? 悲しみが伝わってくるような記事でした。
    まろさんのような方を、両手を広げて受け入れられるような社会であって欲しい。老人の独り言です。

  2. まろ@管理人 より:

     糸井さん関係の2つの記事を一緒に読んでいただいたのですね。なんか情けないですよね。有名人の話をなんとか自分の都合の良いように変換して。悲観と楽観の同居です。
     こんな調子だから、多彩?で分かりにくいのかな。