同じ題名のクルーグマン教授のコラムが面白かったから、私も少しだけ。
とはいっても経済学のこと、まだあまり知らないんだけどね(笑)
古い時代の経済学者をWikipediaなどで調べると、「経済学者」としてだけでなく、
「哲学者」として紹介されていることが多い。最近、そういう人いないよね?
ジェレミ・ベンサムの「最大多数の最大幸福」って言葉に代表されるよう、
昔は人の幸福を考えるのが経済学だったんじゃないかな?だから哲学も必要。
近年は経済学が金融と絡んで理系っぽく変化したことで哲学が抜け落ちたのかも。
それとも単に世の中が、分業化・専門化志向に走ったのが理由かもしれない。
こうして経済学者から広い目で世の中を見つめる、大局観が消えていった?
クルーグマンの言うとおり数学的な美しさに魅了されたことが経済学者の誤りなら、
その原因は、哲学を斬り捨て、人の幸福を考えることを忘れてしまったからでは?
※おまけ: ガルリ・カスパロフ「決定力を鍛える」より
「今日では、専門家や1つの事柄に専念することが非常に重視されている。かつては学生は人間の幅を広げるために大学に行ったものだが、いまや大学は職業訓練の場に等しい。私たちは専門分野で腕を上げることに重点を置きすぎている。そのため、自分の専門をのばす一番の近道が、他の分野に強くなることにあっても気がつかない。」
…なんとなく、今まさに実感しているような話だにゃ。。。
関連記事: 経済学=経済に美しさを求めるもの?→だから変?(09/09/28)
コメント
「私たちは専門分野で腕を上げることに重点を置きすぎている。そのため、自分の専門をのばす一番の近道が、他の分野に強くなることにあっても気がつかない。」
これ良い言葉ですね?
よく野球のピッチャーがより強い球を投げるためには上半身を鍛えるのではなく下半身強化に辿り着く・・・とか
サッカーでは利き足の逆の練習をすることで利き足のほうにも磨きがかかる・・・などなど
自分も決算書を(それほど)見なくなって株式意外の債券市場なんかの動きを見ることとかで視野が大きくなったような感じがします
とよぴ~さんのブログは、「イールドカーブ」で投資ブログ界に独自の地位を獲得された感じがします。でも、それ以前から「名言備忘録」のカテゴリがあって、視野が広い方なんだなぁ、と印象を持ってました。