表題はウォール街に古くからあることわざ。
私たちは偶然の成功を偶然のまま放っておくことができず、
過去の選択が必然的に現在へつながっていると幻想してしまう。
- あるものが偶然と呼ばれるのは、われわれの認識に欠陥があるからにすぎない(スピノザ)
- 幸運とか運命とかいった概念は不当に獲得された概念だ(カント)
- 哲学的考察は偶然的なものを排除するという以外の意図をもたない(ヘーゲル)
- 現象学の領域には、いかなる偶然も在しない(フッサール)
名だたる哲学者たちの偶然への認識もこんな惨状。
この次に起きるちょっとした偶然が未来を一変させる。
人生をはじめ経済や社会のこれまで(過去・現在)の評価は、
これから起きること(未来)によって常に編集し直されるものだ。
だから自信過剰にご用心。上昇相場は憂鬱なものだ…
参考文献
・ジョナサン・バートン「投資の巨匠たち」(ウォール街の諺)
・木田元「偶然性と運命」(哲学者たちの偶然認識)
コメント
あら、ひさびさに投資の話題ですね。
本当に落ち着きませんねえ。これだけ株価が上がっても金利が上ってないんで債券も買えないし、なにより気味が悪いです。
まあ、自分は古い人間なので「打ち出の小槌は存在する」って言ってる人たちを理解できないっていうのもありますが。
まあでも、先のことは分かりません。どちらにいっても良いように準備するつもりですが、私も日本人ですから、うまくいって欲しいと思っています。
今月になって
「株式投資をはじめようと思うんだけど…」と相談されたり、
「投資セミナーに数千人集まった」とニュースになったり、
怪しい動きが増えてきました。
前々から投資を続けていた人が自慢げに周囲に語り、その悪影響を受けてのことだろうと思います。
だから警告の意味をこめて。
上昇相場って落ち着かないものですよね。
まぁ、落ち着かないといってもおおまかに二種類あって
・よっしゃー! 上昇の流れが来た、まだまだいける!
ってテンションが上がって落ち着けない人と
・この上昇は一過性のものでまた落ちる? それともまだ続く?
と急上昇に懐疑的になって利確か保持かで迷って落ち着けない人。
私は後者に属して、まぁ後者であり続けたいと思っているのですが
(前者はバブルにも乗れるだろうけど、行き過ぎに気づきにくいから)
今までが円高・デフレのジリ貧一直線だったので、少しは好景気を
見てみたいなという期待はしてます。
ところで、最近投資を煽ったりしてるのを見聞きしますが、
分かりやすい好機は、政権交代で円安基調への転換とデフレストップの
期待がはっきり出てきた去年末。それを完全に見過ごして、今頃
何も知らないけどはじめようかな? と思って行動してるようでは
カモまっしぐらだなぁと思うこの頃。
投資に関心持つのはよいと思うし、いつはじめてもいいとは思う
し、失敗をして学ぶことも大いにあると思うけれど、流されてなんと
なくはじめるのはほんとに危険ですよね。
私はずっと王道を外れて生きてきたので、みんなで盛り上がることのできる人たちを時々うらやましく思ったりもします。手元にお金が残るか、心に思い出が残るか、もしもこの2択であるとするなら、後者を歩む人生の方が味があるかもしれません。失敗談を笑いのネタと語れる人は素敵ですから。