「知性崩壊の日本が到達した原発ゼロの夏」のつづき。
意志決定の過程の知性のなさを問題にしたのが昨日の話。
でも過程はどうあれ結果下した「原発ゼロ」という決断は、
平時であれば、選択することがまず考えられない、
今を生きる人々の多くが存在しない未来に資するものだ。
なぜ温暖化のような地球規模の問題の解決に向けて、
私たちが足並みを揃えて行動できないのかといえば、
- 一般的な人々…時間的には長くて数年先、空間的には自分の家族や街、職場の範囲に関心は限られる
- 科学者など専門家…100年先の国家や世界を見据えて警告
この両者の視野に間に大きな溝があるから。
このことは40年前に人類の未来に警鐘を鳴らした、
ローマクラブの「成長の限界」で指摘されていた。
人間の視野の狭さがネックになるだろうと。
「成長の限界」で示された「人間の視野」の図に
日本が選択した「原発ゼロ」の選択の効用を加えると、
意外な選択だったことがよく分かる。
とはいえこれはあくまで私の中での世界観。
太陽光や風力発電など自然エネルギーが本格化するまで、
20~30年程度は時間がかかると思うんだよね。
ドイツを例にすると、
- 1986年 チェルノブイリ→原発廃止の議論開始
- 2002年 原発の新設中止、2022年までに停止の決定
- 2010年 原発の稼働を2030年代までの延長を決定
- 2011年 原発を2020年までに完全停止を決定
だからいきなり原発を止めてしまった日本は、
向こう30年くらいはエネルギー問題で混乱が続くだろう。
その間、国内の製造業が耐えられるのかどうか…。
もちろんそれを超えた先の日本には期待できそうだけど。
でも曇り時々雨の先にある、日本経済の晴れの時代に、
私自身が生きてられるかどうか考えるとちょっと微妙。
元気でも投資家として恩恵を受けられる年齢じゃないから。
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