現在配信中のアニメ「逃げ上手の若君」第2期。
主人公、北条時行は史実では?と書籍を探してみると、
中公新書のこの一冊が、時行を扱った唯一の本みたい。
まずはその内容よりも「あとがき」に記された著者の歩みが熱い!
- 中学生の時に鎌倉北条氏の人々を主人公にした漫画を読み、時行が好きになる。
- それ以来、様々な本を読み漁ったが時行に関する記述がほとんどない。
- ならば自分で調べようと大学は史学科へ。
- 時行を卒論のテーマにすることを指導教官に反対(史料がない)されるも、それを押しきって時行を調べ倒す。
- 卒業後は普通に就職したようだが、その後も追っかけを続けて論文を投稿するようになり、45歳でこの本を出版。
「推し活」の究極系がここにある!
さて本題に戻り、鎌倉幕府滅亡後の北条家の生き残りである時行は、
鎌倉幕府滅亡の2年後に、諏訪大社の神官一族に擁され挙兵。
鎌倉を守る足利尊氏の弟、直義を破り、鎌倉占領に成功する。
その時、京都にいた尊氏は後醍醐天皇の制止を振り切って鎌倉へ。
尊氏に敗れた時行は、20日間ほどで鎌倉から退却することになる。
これが本書のタイトルの「中先代の乱(1335年)」と呼ばれる事件。
「中先代」とは時行を指し、
- 「先代」の武家の筆頭である北条高時
- 「当代」の武家の棟梁である足利尊氏
この2人の「中」という意味合いらしい。
鎌倉は源頼朝以来の武家政権の中心だった土地。
1336年に尊氏が制定した「建武式目」でも以下のような記述が残り、
当時の武士にとって鎌倉を特別な場所だったことがよく分かる。
於武家尤可謂吉土哉(武家において、もっとも吉土と謂ふべきか。)
そんな鎌倉を短期間でも制圧したことで、
時行は「中先代」と称され、その名が歴史に残ることになった。
そしてこの中先代の乱の歴史的な意義は、
尊氏が後醍醐天皇の建武政権から離反するきっかけとなったこと。
乱の鎮圧後も帰還命令を無視して、尊氏が鎌倉に留まったことで、
後醍醐天皇は尊氏に与えていた官職を解き、対立が鮮明に。
その頃から周囲の武士が尊氏を「将軍家」と呼ぶ史料が残り、
ここから室町幕府成立、南北朝の動乱へとつながっていく。
おまけで戦国時代に小田原城を拠点にした北条氏は、
氏綱の妻で氏康の母にあたる養珠院殿に由来するらしい。
養珠院殿を「横江北条相模守女」と記す史料もあり、
横江氏は北条時行の子孫と伝承される一族なのだとか。
ただ敗者の歴史は残りにくいのが世の常。
中先代の乱で敗れた後、18年間にわたり、
逃げては戦い続けた時行の足取りに関する史料は少ない。
それをどう表現するのか、今後のアニメの展開を楽しみにしたい。


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