明恵上人、島に宛てて手紙を書く。

19歳から死の間際まで生涯にわたって、
見た夢を記録し続けた鎌倉時代の名僧、明恵(1173~1232)。

夢に本気で取り組んだ人物を探せば、
ジークムント・フロイト(1856~1939)まで時代を下ることを考えると、
かなり尖った人物だったようで、面白いエピソードが残されている。

あるとき明恵は紀州の苅磨の嶋という島に宛てて一通の手紙を書いた。
手紙を託され戸惑う弟子に、明恵からの手紙を持ってきましたと声をあげ、
島に置いてくればそれでよいのだ、と伝えたのだという。
明恵の考えでは国土は毘盧遮那仏の体の一部であり、島は如来そのものだと。

手紙の内容はというと、かつて修業の場だった島に宛てて、

かく申すに付けても、涙眼に浮かびて、昔見し月日遥かに隔たりぬれば、磯に遊び島に戯れし事を思ひ出されて忘られず、恋慕の心を催しながら、見参する期なくて過ぎ候こそ、本意に非ず候へ。

このように思慕の情を表現した後に、

又、其に候ひし大桜こそ思ひ出されて、恋しう候へ。消息など遣りて、何事か有る候など申したき時も候へども、物いはぬ桜の許へ文やる物狂ひ有りなんどいはれぬべき事にて候へば、非分の世間の振舞ひに同ずる程に、思ひながらつゝみて候也。然れども所詮は物狂はしく思はん人は、友達になせそかし。

桜の大木を懐かしく思い、手紙を送って想いを伝えたいと感じたこともあった。
でもそんなことをすれば、世間の人々は気が狂ったと噂するだろうと、
これまではこうした想いは胸に秘め、表に出さないようにしてきた。
しかし、私を狂人だと思うような人々とは、どうせ友にはなれない。
そう思い直して、今この手紙を書いている、という決意が示されている。

近年、私たちが著しく低下した能力が、
「所詮は物狂はしく思はん人は、友達になせそかし。」
と割り切って、自分の「好き」を貫き通すことかもしれない。

得体のしれない安心感を求めてSNSで「Like」を得ようと、
世間一般に考えを合わせて群れているうちに、烏合の衆となってしまう。
そして何百、何千の「Like」を集めても、
たったひとつ「Love」につながることはないだろう。

万人と適当に付き合って誠意の欠けた人生を送るよりも、
たったひとりでもたしかな信頼関係を築けた人生の方が価値がある。

そんなことを再認識させる明恵上人のエピソードだった。

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