マキャベリ「君主論」第25章より運命論

本屋でマキャベリ「君主論」が文庫で平積みされていたので買った。
私の本棚には塩野七生の「マキアヴェッリ語録」しかなかったのだ。
あらためて全文を読むと、やはり第25章の運命論が興味深い。

もともとこの世のことは、運命と神の支配にまかされているのであって、たとえ人間がどんなに思慮を働かせても、この世の進路を直すことはできない。いや、対策さえも立てようがない。と、こんなことを昔も今も、多くの人が考えてきたので、私もそれを知らないわけではない。・・・とりわけ現代は、人間の思惑のまったくはずれる世相の激変を、日夜、見せつけられているから、この見解はいっそう受け入れやすい。

中世のヨーロッパでは、神が造った普遍的な法則がこの世を動かすと考えられ、
運命や宿命にあらがうことは、いわば神々への反逆だったのではないだろうか。

しかしながら、われわれ人間の自由意志は奪われてはならないもので、かりに運命が人間活動の半分を、思いのままに裁定しえたとしても、少なくともあとの半分か、半分近くは、運命がわれわれの支配にまかせてくれていると見るのが本当だと、私は考えている。

ルネサンス”Renaissance”。
日本語にすると「再生」「復活」。

ルネサンスという言葉には、古代ギリシア・ローマの文化の復活のほかに、
神や教会を中心とした世界観からの解放し、人間を再生・復活させる!
という意味合いも含まれていたというから、時代を象徴する表現と言えるかも。

運命は、まだ抵抗力がついていないところで、猛威をふるうもので、堤防や堰ができていない、阻止されないと見るところに、その矛先を向けてくる。

運命の女神を荒ぶる河川に見たてて、
備えがあれば運命がもたらす不幸を免れることができると説く。
では運命に対する備えとはいったい何なのか?

運命は変化するものである。人が自己流のやり方にこだわれば、運命と人の生き方が合致する場合は成功するが、しない場合は不幸な目を見る。

マキャベリは世の中の変化に対し、柔軟に対応できる力を重視していた。

思えば名だたる古典の人生訓の帰結はいつも同じ。

たとえば中国古典では老子と荘士がこんな言葉を残している。

上善は水のごとし(老子・8章)

天下に水よりは柔弱なるはなし(老子・78章)

老子は「水」こそが最善のあり方と説き、
その「しなやかさ」に国を治める方法を求めた。

物に乗じて心を遊ばしめ、已むを得ざるに托して中を養う(荘子・人間世篇)

時に安んじて順に処おれば、哀楽も入ること能あたわず(荘子・養生主篇)

荘子はありのままを受けいれることが最上の生き方であり、
そうしていれば喜びや悲しみが入る余地がないと説いている。

やはり人生でいちばん大切なのは「しなやかさ」なのである。

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