日本の「支払い」は「お祓い」だった/田中優子&松岡正剛「日本問答」

日本ではまだ投資が敬遠されているところがある。
もちろんそれは金融機関の販売姿勢にも問題があるけど、

日本人の文化的・精神的な特性からその理由を読み解けないかなと。
以前、知的好奇心の国際比較から考えてみたこともあった。

今日は田中優子&松岡正剛「日本問答」のなかで、
松岡さんが日本人にとって「富」とはなんだったのか?
について語っている部分が興味深いのでメモ。

ケガレをお祓いするというしくみのなかから、「支払う」という行為が生まれていったようなんです。いまでも神社でお祓いをしてもらうときに神毛さんが「幣」を振ったりかざしたりしくくれますが、「幣」というのは紙幣の「幣」でしょう。実際にもお祓いをしてもらって、「志」としていくばくかのお金を神社に納めたりもする。

日本の昔話には、ばっちいことや異界とのかかわりをもつことで富を手に入れてめでたし、めでたしとなるというパターンがものすごく多い。

以前、神とお金との関係を考えてみたことがある。

古来、空にかかる「虹」は天地を結ぶ橋であり、
虹を渡って神や精霊が俗界に降りてくると考えられていた。
そして虹が出たところに「市」を立て、
神を喜ばせるために交易を行うという習慣があったという。
このように日本の市場の原型には神が濃密に関わっていた。

日本に宋の貨幣が入ってくると、お金をもつことが「銭の病」と言われて嫌われたりもした。おそらく「富」というものに対しても、たんに貯蓄が多いとか裕福であるということではない、べつな価値観をもっていたんじゃないかとも思えるわけです。

源平の世に、お金を穢れたものとみなした風習があったのも、循環プロセスのなかに神仏や超常性や異界が介在していないからでしょう。

うまく現代につなげられないのだけど、
株式投資に「穢れ」のイメージがついているように感じていて、
上記のような話から読み解くことができないものか考え中。