西芳寺。花の寺から苔の寺へ。

苔寺として名高い西芳寺をようやく観賞することができた。
事前に往復葉書での拝観申込みが必要でフラッと訪れることができない。
しかも拝観料3,000円を支払い、写経をしてから庭園拝観という順序だ。

しかしこうした仕組みのおかげで境内が喧騒に巻き込まれず、
また1日平均100~150人の拝観者と仮定すると約1億円の収入になるので、
庭園の保全費用に充てることができ、なかなかうまく運営されている。

ちなみに重森三玲が調査のために西芳寺を訪れた1937年前後は、
終日庭園にいても拝観者は2~3名程度しかいなかったらしい。

苔が美しさで名高い西芳寺だが、室町時代は花の寺として愛されていた。
西芳寺の庭園を作庭したとされる夢窓国師(1275~1351年)は、
この地で苔ではなく桜を題材にした和歌を詠んでいる。

また足利尊氏が西芳寺の夢窓国師の元を訪れた時の2首。
桜の散り際を愛でる美意識を持つ尊氏を讃えたものだ。

心ある 人の訪ひ来る 今日のみぞ
あたら桜の 咎を忘るる

心ある人(=尊氏)は訪れた今日だけは、
散りゆく桜の定めを忘れることができる。

盛りをば 見る人多し 散る花の
後を訪ふこそ 情けなりけれ

満開をすぎた桜の良さが分かる尊氏は情けを知る人。
すなわち心の中に散らぬ桜を持っている人物だと。

また足利義満、足利義政も西芳寺を愛し、
この地を参考にそれぞれ金閣寺、銀閣寺を創建したのだとか。
義政はたびたび紅葉狩りの宴を開いた。

しかし応仁の乱で細川勝元が西芳寺に陣を敷いたことで荒廃。
おそらくこれを機に桜や紅葉を愛でるための人工的な庭園ではなく、
自然に還ってゆく過程で苔に覆われていったのだろう。

拝観していてなんとなく夢窓国師作の名残りに感じたのは、
坐禅堂である指東庵のそばにあった石組みだけだった。

とはいっても重森三玲は著書「枯山水」の中で、
夢窓国師・作庭説に疑問あり!と主張していたが。

御朱印は2ページにわたる珍しいものだった。