奈良・平安時代に貨幣経済が定着しなかったワケ

日本で本格的に貨幣が鋳造されたのは8世紀前半。
でも物々交換から貨幣経済へ以降を始めるのは14世紀頃。

なんでこんなに間が空いてしまったのか?
その原因は急激なインフレと貨幣政策の失敗にあるようだ。

日本最古の貨幣は最近では富本銭と言われているが、
流通貨幣として本格的に鋳造されたのは708年の和同開珎

それから3年後の711年に蓄銭叙位令と呼ばれる法令が定められる。
続日本書紀の記述を引用すると、

「詔して日く、夫れ銭の用たる、財を通じ有無を貿易する所以なり当今百姓なほ習俗に迷ひて、未だ其の理を解せず、僅かに売買すと雖も、猶銭を蓄ふる者無し。其の多少に随ひて節級して位を授けん。其れ従六位以下蓄銭一十貫以上有らん者には、位一階を進めて叙す。廿貫以上には二階を進めて叙す。初位以下五貫ある毎に一階を進めて叙す。・・・其の五位以上及び正六位、十貫以上有らん者は、臨時に勅を聴け。」

貨幣で蓄財した者は位を格上げするという特典を付けることで、
貨幣の価値を世に知らしめようとしたようだ。

しかしこの時代は山口博「日本人の給与明細」によると、
米の価格が40年間で8倍近くになったインフレの時代。
持っているだけで目減りする貨幣を貯め込むなんて自殺行為。
※米一升あたりの価格…0.7文(711年)、1.8文(737年)、5.3文(751年)

そして追いうちをかけるように760年、
朝廷が和同開珎の10倍の価値と定めた萬年通宝を鋳造。
この時代のインフレに合わせて考えられた貨幣だと思われるが、
和同開珎と萬年通宝の材質がほぼ同じだったことで市場は大混乱。

和同開珎(708年)から乾元大宝(958)まで12種類の貨幣が鋳造されたが、
新たな貨幣を発行するたびに、無理な交換比率が定められ、
さらには材質も悪化していったことで、すっかり信用を失ってしまう。
こうして日本経済は米や絹を通貨代わりとする経済へ逆戻りしていった。

オマケで今の貨幣を材質から、純粋に金属価値に換算してみると…