いつからか私たちは未来の豊かさや安心のために、
現在を貯蓄・投資する生き方が正しいと考えるようになった。
しかし終身雇用や年功序列のようなレールが敷かれた人生設計が崩壊し、
また東日本大震災を体験したことで、少し揺り戻しが来ているのだろうか。
未来よりも現在が大切!と主張する書籍をよく見かけるようになった。
その代表はアドラー心理学を紹介した大ベストセラー
- 岸見一郎、古賀史健「嫌われる勇気」(2013)
たとえばこんな一節が今の大切さを表している。
「過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」には何の関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。」
また今週読んだのはこの二冊だが、
- 古東哲明「瞬間を生きる哲学」(2011)
- 小川さやか「その日暮らしの人類学」(2016)
前者の主張であり結論は冒頭に示されたとおり単純明快。
いまこの瞬間のなかにすべてがある。少なくとも、大切なものは全部でそろっている。
人生の意味も、美も生命も愛も永遠も、なんなら神さえも。
だから瞬間を生きよう、先のことを想わず、今ここのかがやきのなかにいよう。
そして後者は”Living for Today”を前提とする途上国の価値観や経済を紹介した一冊。
将来を憂うこともなく、心のままに日々を生きる人々の姿が印象的だ。
思えば今この時だけがすべてであると力説した古典、
「徒然草」の兼好法師が生きた時代は鎌倉末期から南北朝の動乱期。
波乱の時代だからこそ、今の大切さに気が付くのだろうか?
それともいつか必ず死を迎える人間の根源的な欲求なのだろうか?
そもそも目先の快楽の中に果てるのが人間の性なのではないか?
こうして考えていくと、ふと疑問に思うことがある。
自らが存在しえない未来の地球環境に配慮するため、
日々の生活を犠牲することが私たちにできるのだろうか?
また少子化の時代、遺伝子を受け継ぐ者がいなければ、
遠い未来に思いをはせることは本能的に難しいのではないだろうか?
私自身も経営や投資の分野でも短期志向を毛嫌いしてきたが、
長期投資と言ったところで、せいぜい5~10年を考えるのが限界だ。
様々な分野で人が真の意味で長期で考え、行動するには、
人がほぼ不死の存在になるまで難しいかもしれない。
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