イギリス人植物学者が見た日本/ロバート・フォーチュン「幕末日本探訪記」

1860年、植物採集旅行へやってきたロバート・フォーチュン。
植物を通じて見た日本文化に関する記述が興味深い。

園芸大国だった幕末の日本

今では園芸を楽しむことを「ガーデニング」と呼び、
本場はイギリスのような印象を受けるが歴史的には違うようだ。

「(長崎の)高級役人や豪商や隠居した人達の屋敷は、おおむね一階か二階建で小さいが、気持のよい清潔な高台の住宅地にあった。住民のはっきりした特徴は、身分の高下を問わず、花好きなことであった。良家らしい構えのどこの家も、一様に裏庭に花壇を作って、小規模だが清楚に整っていた。この花作りは、家族的な楽しみと幸せのために大変役立っていた。」P32

(江戸)郊外の小ぢんまりした住居や農家や小屋の傍らを通り過ぎると、家の前に日本人好みの草花を少しばかり植え込んだ小庭をつくっている。日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしにしじゅう好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている。もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える。」P108

フォーチュンは身分を問わず花を愛でる日本人の姿に驚いている。
おそらくこの時代のイギリスでは園芸は貴族の特権だったのでは?

江戸時代の身分制度と言えば「士農工商」が有名だが、
ヨーロッパの階級格差と比べると緩いものだったのだろう。
農民が社会的に低い身分だと聞いたフォーチュンはこう記述する。

日本の各地で観察した農民とその家族は、余裕のありそうな家に住み、衣服も整っていたし、食事も十分で、幸福で満足そうに見えた。長崎や江戸のような大都市の近傍に住む農民は、むしろ田舎の武士や地主よりは富裕かも知れないということは、ありそうなことだ。」P259

またフォーチュンはソメイヨシノの産地としても有名な染井村を訪れ、
世界有数の植木村であると、その規模と歴史を称賛している。

染井や団子坂の苗木園のいちじるしい特色は、多彩な葉をもつ観葉植物が豊富にあることだ。ヨーロッパ人の趣味が、変わり色の観葉植物と呼ばれる、自然の珍しい斑入りの葉をもつ植物を賞讃し、興味を持つようになったのは、つい数年来のことである。これに反して、私の知る限りでは、日本では千年も前から、この趣味を育てて来たということだ。その結果、日本の観葉植物は、たいてい変わった形態にして栽培するので、その多くは非常にみごとである。」P126

現代の東京ではマンションが増え、園芸を楽しむスペースはない。
でも大都市の割に緑が多く、明治神宮のような人工の森もあることから、
都市全体で俯瞰すれば園芸都市と言えるのだろうか?

天皇の超人的な能力

おまけでフォーチュンは天皇について不思議な記述を残している。
天皇を神格化したのは明治時代に入ってからだと思っていたが違うようだ。

都の天皇の慣例や風習については、奇異な話が伝わっている。たとえば、天皇は空気を吸うこともできず、足を地に触れることも許されないそうである。天皇は同じ衣服を二度着ることはないし、同じ皿を次の食事には使わない。使った皿はそのつど毀すのである。誰かが試みに、その皿で食事をすると、喉が焼けて必ず死ぬそうだ。また天皇が脱ぎすてた衣服を無断で着用すると、同様の罰を免れることはできないという。古代の天皇は、毎朝頭に冠を着け、玉座に数時間も彫像のように、身じろぎもせず、正座を余儀なくされたそうである。たまたま彼がほんの少しでも動いたり、視線をそらしても、彼が眼を向けた方角の国が、不幸な戦争や飢餓や火災、あるいは悪疫で悩まされることが予期された。こうして日本に騒乱の絶えない状態が続いたので、ついに政治形体を二分する道が開けた。天皇が帝位を継承し、政権を取った将軍がさらに国を確固たるものにしたので、災害が少なくなった。」P232

天皇がちょっと動いたら地震が起きるみたいなイメージかな。
天皇が地球そのもので、そして荒ぶる地球を鎮めるのが将軍ということ?