人生を楽しむための徒然草150段の方法論

最近の笑い話の鉄板ネタと言えば、
包丁も持ったこともないのに、本格的な和食の料理教室に習いに行ったことで、
あっという間に上達し、今ではすっかり料理はお手のもの。

先日、友人に言われて気がついたのだが、大学時代にも似たようなことをしていた。
高校まで帰宅部だったのに、いきなり社会人のフットサルチームへ突撃。
周囲の足を引っ張りながらも、基本を無視したシュートで結構ゴールを決めていた。

ふと思えば投資も投資信託ではなく、いきなり個別株投資をはじめたのが良かった。

もしかすると、この無鉄砲な物事の進め方は、
兼好法師が徒然草に書いた上達の方法論そのものなのでは?

能をつかんとする人、「良くせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。内々良く習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、そしり笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、ついに上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、ならびなき名を得る事なり。

芸能を身につけようとするならば、
「上達するまでは人に知られないようにこっそり習ってから人前に出よう」
なんて考えでは一つも芸を身につけることはできないだろう。
素人のうちから玄人に混じって、馬鹿にされても平然と努力を続けられる人が、
生まれつきの才能がなくても、才能ある人をも上回る名声を手にするだろう。

私の場合は芸能なんて大それたものではないけど、
これが人生を楽しむための遊びの美学なのだ!と自信を深めたのだった。