国産のナラ材が手に入りにくくなっているので、将来的には北米のオーク材に切り替わっているかもしれない。
この感じ、東大寺大仏殿の再建事情に少し似ているかも?
ということで木の観点から東大寺の歴史を少々。
現在の東大寺大仏殿は江戸時代に建てられた三代目。
鎌倉時代、江戸時代に再建されているが、その木材調達地は、
- 創建時…三重県・滋賀県
- 鎌倉時代…山口県
- 江戸時代…宮崎県
というように時代が下るにつれて奈良から遠くなっている。
これは森林伐採の影響で近畿地方では巨木が見つからなかったため。
しかも江戸時代の再建では、
大仏殿を支える柱として十分な太さの木材が見つからず、
横幅を3分の2に縮小し(創建当初は約85.8m、現在は57.5m)、
さらには以下のような方法で柱を太くして対応している。
ふとジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」を思い出す。
巨大建造物のために森林破壊が進み、文明崩壊へつながる。
その最悪のケースが、モアイ像のイースター島であり、
現代文明の未来への過去からの警告であると指摘していた。
古代日本では文明崩壊とまではいかなかったものの、
法隆寺(607)から東大寺(758)まで巨大な木造建築が続いたことで、
近畿地方全域で森林破壊がかなり進んだことが想定される。
(東大寺建立のために伐採されたスギやヒノキの大木は3万数千本とも)
また奈良時代から平安時代にかけてはじまった畳文化は、
木が不足し板張りの床が作れなくなったことに由来するというから、
都の周辺はハゲ山だらけだったのかもしれない。
奈良時代には世界的に気候が温暖になったところに森林破壊が重なり、
干ばつと飢饉が頻発し、多くの人々が命を落としていった。
東大寺の大仏建立はこうした社会不安を取り除くためとも言われているが、
見方によってはとんでもない愚策だったのではないだろうか。
ただ当時の感覚では「国家鎮護=天皇を守る」なのだから、
長屋王の変(729)と長屋王を陥れた藤原四兄弟が怪死(737)と続き、
次は自分の番では?と恐れた聖武天皇自身のためと捉えれば納得かな。
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