徳川綱吉は人々の価値観を変えた名君?/磯田道史「徳川がつくった先進国日本」

奈良への旅をきっかけに古代史が見直されていることを知った。

こうした歴史の再検証・再評価は古代史だけの話ではない。

徳川綱吉(1646~1709)に対する評価もだいぶ変わったように思う。
私が子どもの頃は、犬好きで人々を振り回した将軍だったが、
磯田道史「徳川がつくった先進国日本」では、
江戸時代の太平の世の礎を築いた名君として描かれている。

武士の価値観を変えた「武家諸法度」の改訂

江戸幕府が武士を統制するために定めた武家諸法度は、
1615年に2代将軍秀忠が発布して以降、8代将軍吉宗までは、
将軍の代替わりのたびに改訂されていた。

5代将軍綱吉が手を加えた箇所で特筆すべきは第1条。

【旧】文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事

【新】文武忠孝を励し、礼儀を正すべき事

磯田氏はこの功績を次のようにまとめる。

これまでの武家の価値観を改め、武道に代わって、忠孝、礼儀による上下の秩序維持が第一とされています。武威をふるう替わりに、儀礼を重視し、上下の秩序を維持する論理への転換が求められたわけです。武士の世の大きな価値観の転換でした。

庶民の価値観を変えた「生類憐れみ令」

さて綱吉と言えば問題の「生類憐れみ令」。
悪法の象徴のように扱われるが、犬を崇めた法律ではない。

犬ばかりに限らず、惣て生類人びと慈悲の心を本といたし、憐み候儀肝要事

とあるように、
生きとし生けるものすべての命を大切にせよという根底があり、
社会的な弱者を救済するための内容も含んでいたという。

綱吉の根本意図は、人びとに「慈悲」や「仁」の心をもたせることでした。・・・その緒果、「命」を尊重するという価値観が社会に根付いていきました。綱吉は悪い大公方とされていますが、実は、彼こそが徳川の平和に大きく貢献していました。それは、政治・統治の面でみれば、「殺す支配」から「生かす支配」への転換だったといえるでしょう。生命重視への大転換がまさに綱吉によって図られ、徳川の平和が完成したのです。

治世晩年の天変地異が評価を下げた?

このように太平の世の礎を築いた綱吉の評価が低いのはなぜだろう?
やはり治世最晩年に起きた天災が原因なのだろうか。
1707年の南海トラフを震源とする宝永地震と富士山の宝永大噴火。

当時の人々の間では綱吉の悪政に対する天罰と考える向きもあり、
それが後の世の綱吉の評価に影響してしまったようだ。

経済や社会のこれまで(過去・現在)の評価は、
これから起きること(未来)によって常に編集し直されるもの。
蘇我氏や綱吉のように悪とされていたものが善に転じることもある。

孔子の教えに「一以貫之」というのがあったが、
信念を貫いた人の人生は、必ず評価されるものなのではないだろうか?