悪役に仕立てられた蘇我氏。近年は再評価が進んでいる?

日本最古の大仏は蘇我馬子が創立した飛鳥寺に鎮座している。
通常、文化財は写真撮影禁止だが、ここではなぜかどうぞと勧められた。
目が特徴的な仏像で、なんだかウルトラマンのように見えてくる。

しかし蘇我氏はこの時代の負のイメージを背負わされた損な役回りだ。
後に天皇となる中大兄皇子や権力を握る藤原氏の祖、中臣鎌足によって、
蘇我入鹿が殺害されたことで、その功績が書き換えられてしまったのだろう。

そもそも蘇我馬子、蝦夷、入鹿という名前が奇妙だ。
蝦夷「えみし」は「えぞ」とも読み、大和から見てあまり良いイメージではないし、
馬子と入鹿から一字ずつとると「馬鹿(バカ)」なんて言葉が浮かんだり。
一方の藤原氏二代目の不比等は「比べるものがないに等しい」と誉められる。

最近出版された倉本一宏「蘇我氏」吉村武彦「蘇我氏の古代」を読んで、
隋の中国統一という国際情勢の変化を受け、中国に飲み込まれないために、
自らに権力を集中させ、短期間で日本国内をまとめようとした結果、
反発を買ってしまった
というような経緯であることを理解した。

個人的な印象だが、今では存在が疑われることもある聖徳太子は、
蘇我氏の政治的な業績を覆い隠すためにつくられた架空の人物なのでは?
よく言われているように歴史は勝者によって書き換えられるものなのだろう。

さて飛鳥寺の裏山のような位置にある奈良県立万葉文化館を訪れると、
そのあたり一体は工業地帯のような場所だったらしい(飛鳥池工房遺跡)。
近年、日本の貨幣の始まりは「和同開珎」から「富本銭」に書き換えられたが、
この地で富本銭をはじめ、鋳型や仕上げのやすり等が発見されたのだという。
中庭に工房の発掘時の様子が復元されていた。

蘇我蝦夷・入鹿邸宅を構えていたと言われている甘樫丘から飛鳥寺、
さらには飛鳥池工房が東西に並んでいることを考えると、
この工房も何かしら蘇我氏と関係しているのかもしれない。

ちなみに蘇我氏は入鹿の代で途絶えたものだと思っていたが、
その後も天皇家との血縁関係が続き、藤原家に取って代わられるのは、
東大寺の大仏建立の詔を出した聖武天皇の時代になってからだった。