奈良で蕎麦の求道者に出会い、江戸時代の「蕎麦全書」を読む。

奈良の旅で一番の美味は意外にも蕎麦だった。

「玄(げん)」で食べた一日二組限定の「蕎麦遊膳」

ご主人の蕎麦への深い愛が感じられる素晴らしい料理の数々。

ここまでのレベルに到達しても、
「東京でおすすめの蕎麦屋を教えてもらえませんか?」
と他店の味に学ぼうとする、まさに蕎麦の求道者ここにあり!

「奈良にまで来て「蕎麦」って言うのもねぇ」とご主人は笑っていたけど、
東大寺の「転害門」が別名「碾磑門」で、石臼をひいていた歴史を考えると、
日本文化を探究する旅にふさわしい奈良の美食だった。

日新舎友蕎子「蕎麦全書」

せっかく求道者に出会ったのだから、蕎麦の古典を読んでみようと思い、
1751年に書かれた日新舎友蕎子による「蕎麦全書」を手にとった。

江戸時代(1697年)に発刊された食の大辞典「本朝食鑑」を引用しながら、
蕎麦の打ち方や食べ方、江戸の蕎麦屋の特徴などが書かれた、
この時代の蕎麦事情が分かる、蕎麦研究の原書とされる一冊だ。

一番印象的だったのが薬味のイチオシが「大根のしぼり汁」ということ。

味辛甘、温にして毒なし。麺毒を解し、中を寛ふし気を下す。そばを食するに第一の品也。

という出だしに続き、薬味の解説の中で最も長文となっている。
蕎麦の薬味という山葵がまっさきに思いつくが、

人によりて大根のしぼり汁より山葵の辛味を好む人多し。然れ共、大根の辛味なき時に用ゆるのそなへなり。何といふても大根の絞り汁、そぱには第一の物なり。

山葵は大根がないときの代用品といった扱いだ。

奈良の「玄」では、薬味に梅干しが出されたのが珍しかったが、
「本朝食鑑」で奥州で薬味に使われている例があると記述されていた。

ちなみに「麺毒」という言葉になんだこれは?と調べてみると、
当時はそばを食べ過ぎると食あたりすると言われていたのだという。
そして「蕎麦湯」を飲むという習慣も「麺毒」対策が始まり。

先年所用の事ありて信州諏訪を通る事有り。信濃そばとて名物を聞居ければ、旅宿にてそばを所望せしに、其そば製大きによし。成程名物程の事有り。然るにそば後直に蕎麦湯を出して飲しむ。

江戸では蕎麦の後に麺毒対策として豆腐の味噌煮が出されているが、
信州で蕎麦を食べた直後に蕎麦湯が出され、

そば後直に蕎麦湯を飲む時は食するそば直に下腹に落着て、たとえ過食すとも胸透きて腹意大きによろしき物也。当地の風俗皆か様なり。

と宿の主人に蕎麦湯の整腸作用の説明を受けたと記述されている。

最後にもうひとつ鰹節に関する記述を書き留めておこう。

精進に用ゆる華鰹の代りにぼろくぜう、又は搗栗を米の中へ埋み、しとりをかけてかんなにて能薄く削り、片にす。若し急成時には、膳中に入れあたため削り片にす。

鉋で鰹節を削る習慣はいつごろからあったのか今まで分からなかったが、
どうやらこの頃には小刀ではなく、鉋で薄削りする習慣があったようだ。