卑弥呼の墓?の箸墓古墳。その名の由来は日本書紀に。

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今回の奈良旅で一番楽しみにしていたのが箸墓古墳。
事前に古墳の本を読みあさって予習までしてしまった。

ちなみに箸墓古墳を含むこの地域の遺跡の全体像を知るために、
まずは桜井市立埋蔵文化財センターへ立ち寄って、
ガイドマップ「纒向へ行こう!」を200円で購入するのがお勧めだ。

奈良の古墳はどれも巨大で全景を写真に残すのは困難だったが、
箸墓古墳は手前に大きなため池があったので、わりとキレイに撮れた。

箸墓の名の由来

箸墓古墳は日本書紀の崇神10年9月の記述(意訳)に基づき、
倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓とされている。

「倭迹迹日百襲姫は大物主神の妻となった。でもその夫の神はいつも昼間は見えず、夜にだけやって来る。姫は「あなたはいつも夜だけにやって来るので、顔がはっきり見えません。どうか朝までいてください。その麗しく威厳のある姿を私に見せてください」と頼んだ。大神は「なるほどよく分かった。私は明日の朝、君の櫛笥入っていよう。でもその姿に驚かないでくれ」と語った。姫は不思議に思ったが、明くる朝を待って櫛笥を見ると、ちょうど衣紐ほどの大きさのとても美しい小蛇がいた。姫が驚いて叫ぶと、大神は人の形に戻り「私に恥をかかせたな。しかえししてやる。」 と言い残し、大空を駆け上がり、三輪山に登っていった。その姿を見た姫は悔いて座り込んでしまい、その拍子に箸で陰部を突いて死んでしまった。ゆえに当時の人たちはその墓を箸墓と名付けた。この墓は昼は人が造り、夜は神が造った。また大坂山から石材を手渡しで運んだ。」

奇妙な死因だが、当時の天体観測をもとに解明できるという説もある。
※参考…豆板敏男「天文で解ける箸墓古墳の謎

  • 小蛇は248年9月5日の日の出と共に起きた日食の象徴
  • 同年9月24日に女性の象徴である月が牡牛座の角に刺さる

不吉とされた日食の直後に体調を崩した倭迹迹姫の命日を示した記述か?
ちなみに邪馬台国の卑弥呼の没年は247年頃とされている。

古代人が天体現象と地上の出来事を結びつけようとしたと思われる例は他にもある。
九州の霧島周辺で巨石を祀る神社を線で結ぶと北斗七星が現れ、
柄杓の水で高千穂峰の火山を鎮めようとしているように見えるとの指摘もある。

こうした古代人の星空への関心の持ち方は、
天文学を文字通り「天(てん)からの文(ふみ)」と捉えているようで風流だ。

また上記の日本書紀の記述の末尾には、

大坂に 継ぎ登れる 石群を 
手遞傅に越さば 越してむかも

という歌が書かれておりその歌碑も立てられていた。

纒向遺跡・宮殿跡

箸墓古墳と同じ桜井市内で発掘が進む宮殿跡も観に行った。
団地の裏側の空き地で、想像していたよりもこぢんまりした場所だった。

立て看板には桜井市のマスコット「卑弥呼ちゃん」が描かれていた。
観光の目玉にしようと地元は盛り上がっているようだ。

現在は線路の向こう側まで発掘作業が進んでいるようだが、
もう少し大規模にならないと邪馬台国のイメージと結びつかないなぁ。

箸墓古墳から三輪山を臨む

あとで気がついたが箸墓古墳の写真の左端に三輪山が映り込んでいた。

上記の日本書紀の伝承に登場する大物主神は三輪山の神。
そしてその三輪山を御神体として祭る神社が大神神社
日本最古の神社の一つと言われている。

でも訪れた日が運悪く地元のお祭りの日にあたってしまい大混雑。
さらには近くの料理旅館を名乗る民宿でぼったくりに遭うという事件もあり、
私はここの神様に歓迎されていなかったのだろうか?

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