古今和歌集の見事な編集術。その裏にはよみ人しらずの陰謀?

未知の情報が世にあふれると、いかにその情報を編集し、
知を体系づけたくなるのが、私たち人間の性なのだろうか。

ルネサンス期のヨーロッパでは、

  • 宗教的な抑圧から解放された知
  • 東ローマ帝国滅亡で流入した古代ギリシア・ローマの知
  • 航海術の発展によるヨーロッパ圏外からの知

が活版印刷術に乗って紙媒体で大量に氾濫していた。

それをいかに手なずけるか考えられた方法論が、

  • フランシス・ベーコン帰納法
  • ルネ・デカルト演繹法

この頃の動きは現代のインターネット社会でGoogleが、

Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです。

という理念を掲げて、日々検索エンジンを進化しているのと同じと言える。

日本史において情報の編集・体系づけという観点で注目すべきは、
古今和歌集を皮切りに約500年間に21回編さんされた勅撰和歌集だろう。

古今和歌集の編集術

とくに最初の古今和歌集が打ち出した、
四季と恋の和歌を時間の流れに合わせて配置する方法が絶妙
たとえば五巻に分かれる恋歌は下記のように分けられる。

内容
恋歌一(11巻) 今後の恋に思いをはせる歌
恋歌二(12巻) 胸中の人に逢いたい想いを込めた歌
恋歌三(13巻) 恋が成就した前後の思いを詠んだ歌
恋歌四(14巻) うつろいやすい恋心を嘆いた歌
恋歌五(15巻) 終わりを告げた恋を詠んだ歌

特別な編集方針なしに編さんされた万葉集と読み比べると分かるが、
物語を読むように読み進められるのが古今集の特徴といえる。

和歌の連鎖で物語る代表例として939~942番の4首を見てみよう。
一首目は小野小町、残りはよみ人知らずによる和歌。

あはれてふ ことこそうたて 世の中を 
思ひ離れぬ ほだしなりけれ

あはれてふ 言の葉ごとに 置く露は 
昔を恋ふる 涙なりけり

世の中の 憂きもつらきも つげなくに 
まづ知るものは 涙なりけり

世の中は 夢かうつつか うつつとも 
夢とも知らず ありてなければ

1首目の小町の歌の「あはれ」はおそらく喜怒哀楽のすべて。
この「あはれ」に心を動かされるから、世の中をあきらめられない。
しかし2首目の「あはれ」では、昔を恋しく思う「涙」と範囲を狭め、
3首目でその「涙」 はこの世の哀しさやつらさそのものと説く。

ここで巻き戻して「世の中」に対する想いの展開を追うと、
「世の中」をなかなかあきらめきれないが(1首目)、
涙と共に「世の中」の哀しさやつらさを実感すると(3首目)、
「世の中」の夢とうつつの境界があいまいになり、
ありてなければ(あってないようなもの)と結論づける(4首目)。

複数の作者の和歌を撰者が編集することで新たな命を吹き込む。
というようなただの体系づけにとどまらない側面も持っていた。

しかしあまりにその編集術が見事すぎて、
ある疑惑が持たれていることを最近知った(大岡信「うたげと狐心」)。

「よみ人しらず」とされる和歌は撰者の歌なのでは?

古今和歌集で作者不明と表示される「よみ人しらず」の一般的な解釈は、
長い年月、多くの人々に歌い継がれるうちに、作者不明となった歌。

でも怪しいと言われれば、古今集の全体の約4割が「よみ人しらず」に対し、
先の4首の見事な連続のうち3首、恋歌の巻についても割合がやや高い。

内容 よみ人しらずの歌数
恋歌一(11巻) 今後の恋に思いをはせる歌 83首のうち71首
恋歌二(12巻) 胸中の人に逢いたい想いを込めた歌 64首のうち3首
恋歌三(13巻) 恋が成就した前後の思いを詠んだ歌 61首のうち26首
恋歌四(14巻) うつろいやすい恋心を嘆いた歌 70首のうち41首
恋歌五(15巻) 終わりを告げた恋を詠んだ歌 82首のうち41首

編さんの過程で適宜、足りない和歌を自分で詠んで加えたということもありうる。
撰者4人の歌は約2割を占め(紀貫之は102首)、これ以上は増やせない、
でもちょうどいい和歌が見つからない…となった時は。。。

Googleもそうだろうが、完全に公正な情報編集は難しいということだろうか。