万葉人の桜/百人一首61「奈良の都の八重桜」

いにしへの 奈良の都の 八重桜 
けふ九重に にほひぬるかな

藤原道長の娘で一条天皇の中宮・彰子に仕えた歌人の一首。
奈良から宮中(九重)に献上された八重桜を愛でている。

平安時代には京都では八重桜は珍しかったようで、
鎌倉時代の兼好法師が最近、奈良以外でも見られるようになったと書いている。

八重桜は奈良の都のみありけるを、このごろぞ世に多くなりはべるなる。」(徒然草139段)

奈良の桜というと吉野山のイメージが強いが、
この歌で詠まれた八重桜は興福寺に植わっていた桜

彰子の命で興福寺の八重桜を宮中に植えかえようとしたが、
興福寺の僧が阻止したという逸話が鎌倉時代の「沙石集」に残る。
おそらく代わりに桜の一枝が送られた時の歌ということだろう。

ところで奈良に都があった時期、人々はどこの桜を観賞していたのか?
古今和歌集の序文には、

吉野山の桜は、人麻呂が心には、雲かとのみなむおぼえける。

と柿本人麻呂が吉野山の桜を詠んだように書かれているが、
人麻呂の和歌にそのようなものはない。

また万葉集に吉野山は詠まれているが、桜の名所とは詠われていない。
万葉集に詠われた桜を探してみたところ、

見わたせば 春日の野辺に 霞立ち 
咲きにほへるは 桜花かも

春雨の しくしく降るに 高円の 
山の桜は いかにかあるらむ

雉鳴く 高円の辺に 桜花 
散りて流らふ 見む人もがも

平城京の東、春日山や高円山あたりの桜を観賞していたようだ。
現在の奈良公園のあたりが万葉人の花見スポットだったのかもしれない。

またこの頃の桜の和歌には後年のように、

散る桜に人生を重ねて無常を詠うようなものはない。

あおによし 奈良の都は 咲く花の 
にほふがごとく 今盛りなり

ここで詠われた花が桜か梅かは分からないが、
目の前の情景を素直に詠い上げるのが万葉人の特徴だろうか。