紀貫之、水底に写る情景を詠む。

新年を迎えると、なんとなく和歌の気分なので、
紀貫之の和歌集「貫之集」を手に入れ、パラパラ読んでいる。

約6割が屏風歌

貫之集は全9巻に分かれており、そのうち4巻が屏風歌。
屏風に描かれた情景を歌題に詠んだ和歌が全体の約6割を占める。

そういえば平安時代を描いた絵巻を見ていて不思議なのが、
寝殿造りとよばれる建物のの中に壁がほとんどないこと。

となると間仕切りとしての屏風の役割が重要で、
金持ちの貴族はその屏風に贅を尽くし、
歌人の収入源になっていたということだろうか?

水底に映る情景を詠む

歌数が多く、この詠み方を好んだのかな?と感じたのが、
水底に映し出された情景を詠んだ和歌。

空にのみ 見れどもあかぬ 月影の 
水底にさへ またもあるかな

月影の 見ゆるにつけて 水底を 
天つ空とや 思ひまどはん

ふたつなき ものと思ふを 水底に 
山の端ならで 出づる月影

古今和歌集に月の歌をさほど選ばなかった貫之。(→関連記事)
自身は水に映る月影を好んで愛でていたのだろうか。
空に月、水底にも月、と喜んでいるように思える。

はたまた唐代の漢詩のアレンジだろうか?

吾心似秋月 (私の心は秋の月のようだ。)
碧潭清皎潔 (水に映った月のように清らかで輝いている。)
無物堪比倫 (月に例えてみたものの、)
教我如何説 (今の想いをうまく表現できないなぁ。)

また月だけでなく季節の情景も水の中に映して詠んだ。

梅の花 まだ散らねども 行く水の 
底にうつれる 影ぞ見えける

ふたつこぬ 春と思へど 影見れば 
水底にさへ 花ぞ散りける

水底に 影しうつれば もみぢ葉の 
色も深くや なりまさるらん

ふと思えば水に映った情景を目にする機会はあまりない。
金閣寺でこんな写真を撮ったこともあるが、
澄んだ水に映し出されたなら、感動の光景だろうなぁ。