豊洲の地下水問題とBSE問題
豊洲移転騒動にふとBSE(狂牛病)問題を思い出す。
日米の貿易摩擦にまで発展した論点が、
- 20ヶ月齢以下の牛はBSEにならないから輸入しろと迫るアメリカ
- 全頭検査なしには牛肉を輸入しないと主張する日本
というもので、言い換えれば、
- アメリカは科学的な安全
- 日本は情緒的な安心
とそれぞれ重視しているものが違い、主張がかみ合わなかった。
科学と情緒の対立は豊洲問題でも続いているように思え、
これはもう日本の文化みたいなものだろうと割り切った方がいい。
それに3.11を経て日本人の情緒に訴える傾向はより強くなっている。
だから豊洲市場の地下水から検出された化学物質が、
環境基準に照らし合わせた人への影響の有無が問題ではなく、
この国の文化的に検出されてしまった時点でアウトなのだ。
日本橋から築地への市場の移転
かつて日本橋から築地への市場の移転でも、もめにもめた記録がある。
江戸時代の食料流通を担う市場は、現在の日本橋室町1丁目あたりにあった。
衛生面の問題や船から列車への流通システムの変更の必要性から、
1889年に東京府は日本橋箱崎町への移転を命ずる。
しかし板船と呼ばれる魚の陳列台の設置権を握る旧来の業者の反対や、
用地取得や施設建設は業者の自前だったことで、まるで話が進まない。
ようやく話が進んだのは1923年。関東大震災がきっかけだ。
東京市は日本橋での営業再開を阻止し、築地へ臨時市場を開設。
そして1934年に中央卸売市場の建物が完成し、現在に到る。
今回も首都圏に大地震でも来ない限り、移転は難しいのだろうか?
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