魯山人シンポジウム「日本の食文化を巡る、その美しき対話」

昨日参加したシンポジウムの講演メモ。
魯山人シンポジウム「日本の食文化を巡る、その美しき対話」

山田和(父親が魯山人と親交のあった作家)

  • 一品ずつお客に提供する形は魯山人の発案。それ以前はお膳に全部のせて出していた。
  • 魯山人の器は観賞用ではなく、料理をもった時に本領を発揮する。美しさを超えて、美味しそうだと思わせる器。
  • 西洋料理は皿の上で食材をナイフで切って食べる。だからキズがつきやすく食器は消耗品扱い。
  • 日本・中国・朝鮮は同じ箸文化だが、中国・朝鮮は金属箸だから、日本のように漆器に盛られた料理はない。
  • 魯山人の書には琳派の「たらし込み」の技法が見られ、つまり絵画性をもった書と言える。

そういえば最近、越前の包丁職人がステーキナイフで脚光を浴びた。
肉を切るのは日本では「まな板」、西洋では「皿」の上で、
という気付きから、伝統工芸の幅を広げることができるわけだ。

龍泉刃物のステーキナイフ

吉岡幸雄(植物染を専門とする染色家)

  • 焼き物は明治以前の登窯がいい。
  • 染色は飛鳥・奈良時代、陶芸は桃山時代が完成された美。そこから技術の進歩とともに人間が手を抜いたことから下降線。
  • 上質な染料が獲れる土壌は風土記が書かれた頃と今も変わらない。武蔵野の紫と言われたように吉祥寺に紫根を植えるときれいな紫に染められるはず。
  • 魯山人が板前割烹のはじまり。以前はお座敷料理。
  • 京都は水がいい。染物屋には水が大事。そして山が近いから色の移ろいを感じやすい。

ふと「荘子」外篇・天地第十二の「機心」を思い出す。
便利な機械を使って楽をしよう、得をしようという気持ち(機心)によって、
純白の心が失われると、道を踏み外してしまうよ、という話だ。

機械有るものは必ず機事あり。機事有るものは必ず機心あり。機心胸中に生ずれば、則ち純白備わらず。純白備わらざれば、則ち神生定まらず。神生定まらざる者は、道の載せざるところなり。

技術革新によって失われた植物による染色術に、
古典を読み解くことで近づこうとする姿がカッコイイ。
そして1000年以上前の文献を今の言葉で理解できる素晴らしさ。

紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 
草はみながら あはれとぞ見る
(古今和歌集867)

リシャール・コラス(シャネル株式会社 社長)

  • 日本料理の他国にはない特徴は、時間をかけないと美味しさが分からない深さがあること。
  • 異文化を吸収する能力の高さが日本人の特徴。美味しい日本料理を作れるフランス人はいないが、美味しいフランス料理を作れる日本人はたくさんいる。
  • 日本ほど料理番組が多い国はない。

白金高輪「コート・ドール」の斉須政雄さんの本だったと思うが、
パリのフランス料理店は日本人なしには成り立たないという話もあった。

ペリー来航までの日本が世界の文化の受け皿の立ち位置だったことで、
異文化を自分のものにするDNAみたいなものが、日本人にはあるのかもね。

村田吉弘(菊乃井 主人)

  • 脳科学的には同じものを15回は食べないとニューロンがくっつかず美味しさが分からない。
  • 「美味しい」は美味しいものを楽しもうという気持ちから生まれる。料理人はただ美味しいものをつくるのではなく、演出家としても優れていなければならない。
  • わび・さびは日本人にしか分からない感覚ではない。フランス人でも少数の人には理解できる。
  • 箸文化圏で最もよいものをというと、中国・朝鮮は金銀の箸。日本は客のために主人が自ら削って作った木の箸。物質文明の中で精神的なものを求め続けたのが日本の食文化の特徴。
  • 箸先の反対側は自分の先祖を表す。つまり食事とは自分と先祖をつなぐこと。
  • 日本は「いただきます」、海外は「ありがとう」。捕食者と捕食される者を分けない食べ方、食材への敬意の払い方が違う。
  • 京都のパン屋はパリより多い。京都のイタリア料理屋はミラノより多い。

脳科学から日本文化まで教養の深さに感服した。
村田さんの話が一番おもしろく、もっと聞きたかった。
隔週で赤坂店に立っているそうだけど、なぜか1度も当たったことがない。
今年こそは村田さんがいらっしゃるに菊乃井を訪問したいものだ。