イサム・ノグチに見る日本的方法

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四国旅でイサム・ノグチ庭園美術館(高松市牟礼)へ訪問後、
イサム・ノグチ(1904~1998)についていろいろ調べている。

二つの国をもち、二重の育てられ方をした私にとって、安住の場所はどこだったのか。私の愛情はどこに向ければよいのか。私の身元はどこなのか。日本かアメリカの一方なのか、両方なのか、それとも世界に私は属しているのだろうか。」(イサム・ノグチ「ある彫刻家の世界」)

詩人、野口米次郎とアメリカ人の母の間に生まれたイサムは、
早くに父に捨てられ、彫刻家として名が知られるようになってからは、

  • 第二次大戦時にはアメリカでスパイ扱い
  • 広島の慰霊碑のデザインに採用決定後に却下

とアメリカ社会、日本社会の両方から敬遠された時期があった。
だがその経験が創作の原動力になっていたようだ。

ときどき私は、自分に固有の長所は、とにかく、この当惑と葛藤という要素であり、自分は二つの世界のあいだで生きており、常に東洋と西洋、過去と現在との軋轢を経験していると思っている。」(ドーレ・アシュトン「評伝 イサム・ノグチ」)

あいまいな境界線から創造されるイサムの彫刻。
日本の歴史・文化の方法論と似ていて親しみを覚える。

  • 日本語の成り立ち…文字を手に入れるべく漢字(真名)に取り組んでみたら、ひらがな(仮名)が生まれた
  • 神仏習合…「神」と「仏」に優劣をつけず、神宮寺や神前読経で一体化
  • 歴史認識…「冥」と「顕」のせめぎ合いの中で歴史が生まれる(慈円「愚管抄」
  • 和物茶器…初期の茶道で唐物が重んじられることで和物が立ち上がる
  • 技術革新…戦国時代、世界一の鉄砲生産国になったことが、夜空を彩る花火技術へ
  • 主客未分…主客の関係のあいまいさや入れ替わる伝統

表裏・白黒・善悪に境界をひかずに矛盾を抱えたまま走り、
その「間」から新しいものを生み出すのが日本の特徴だから。

石は人間が存在する以前から生命を持っていた。いわば地球そのものだ。」(ドウス昌代「イサム・ノグチ 宿命の越境者」)

そして地球そのものが彫刻であり、地球を彫り込むことが彫刻、
と石にこだわる中で辿り着いたのが、牟礼の花崗岩「庵治石」。
1968年から亡くなる直前まで牟礼にアトリエをかまえ、
現在はイサム・ノグチ庭園美術館として公開されている。

この美術館の拝観には往復ハガキで事前申込みが必要で、
内部は写真撮影禁止という美術館だが、訪問する価値あり!

伝統を学び、しかもそれを強く統御することは一つの挑戦である。私の努力は、日本人の手によって歴史の夜明けからわたしたちの時代にまで伝えられてきた石の儀式を、新しい時代とその欲求に結びつける方法を発見することだった。日本では、石の崇拝は自然の観賞へと変化していった。彫刻の本質を探ることは、同じ結果にわたしたちを導くと思われる。」(イサム・ノグチ「ある彫刻家の世界」)

平安時代に書かれた日本最古の庭園書「作庭記」では、
庭づくりを「石立て」と表現していたことを思い出した。
イサムは日本美の本質を直感的に掴んでいたのだろう。
面白いからもう少し関連する書籍を読んでみようと思う。

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