日朝友好の証が残る鞆の浦

歴史を紐解けば日本と朝鮮の関係が良好だった期間は、
白村江の戦い(663年)以後は、江戸時代の260年間だけでは?

遣隋使・遣唐使で中国へ向かう船の2隻に1隻が沈没と分かりながら、
朝鮮半島からの陸路ではなく、危険な海路を選んでいることからも、
日朝関係がかなり険悪だったことがうかがい知れる。

徳川家康が秀吉の朝鮮出兵後の関係修復のために捕虜を帰国させ、
そこから朝鮮通信使がはじまった江戸時代は関係が良好だった。
その宿泊地だった広島県福山市の鞆の浦には、

日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地)」

と通信士が絶賛した禅寺、福禅寺が残っている。たしかに絶景。
宿泊した「汀邸 遠音近音」からも同じ景色を望むことができた。
江戸時代の燈台や波止場も残っており、雰囲気の良い街だった。

福禅寺・日東第一形勝