名著の中の羊羹(ようかん)/草枕、陰翳礼讃

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ふいに冷蔵庫でよく冷やした水羊羹が食べたくなったので、

羊羹の美学でも編集してみようと思い立った。

羊羹には奇妙な来歴がある。

もともとは中国の料理で、羊(ひつじ)って字のとおり、

羊肉でとったスープを固めた煮こごりのような食べ物だった。

日本には禅僧経由で鎌倉~室町時代に伝わったらしい。

しかし安土桃山時代には、羊羹は茶道の茶菓子に変身している。

羊羹がおかずからお菓子に変わった経緯は不明なのだ。

羊羹を愛した著名人と言えば夏目漱石が有名だ。

草枕」のなかにこんな一節がある。

余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。」P67

漱石にとって羊羹はただの甘味ではなく美術品だったのだ。

でも残念ながら、今の私たちが羊羹に美を見出すのは難しくなった。

部屋の明るさや照らす光の色、そして器と合わさってはじめて、

羊羹は菓子のカテゴリを抜け出し、美術品となる
のだから。

このあたりは谷崎潤一郎陰影礼讃が詳しい。 

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさをふくんでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。」P28

谷崎の関心は羊羹から和食全体に向かい、こうも語る。

日本料理は明るい所で白ッちゃけた器で食べてはたしかに食欲が半減する。・・・かく考えて来ると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にあることを知るのである。」P29-30

これもまた失われた日本美のひとつかもしれない。

ちなみにとらやの羊羹って甘すぎて砂糖の固まりみたいで嫌い。

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