雪舟、芸術へ進化する禅の山水思想

日本の文化史は応仁の乱前後で切り分けて説明されることが多い。
枯山水庭園についてもまた同じ。

  • 応仁の乱の前…池泉庭園の一局部としての枯山水。
  • 応仁の乱の後…庭全体が枯山水として独立、そして確立。

と作庭家で日本庭園研究家の重森三玲が解説している。
この前後、枯山水にいったい何が起きたのか?
ちょうどその頃、水墨画で有名だった禅僧、雪舟がちょっと気になる。

枯山水の完成に禅の思想が不可欠だったことは言うまでもない。
そのはじまりは道元の説いた「而今の山水」(正法眼蔵・山水経)。
而今は過去・現在・未来という時空を超越した時のことであり、
その向こうに見える山水こそが仏道の悟りの境地であると説いた。

心に留まっていた道元の山水を自然に同化させたのが夢窓国師
自然の中に人のありようを見いだそうと庭園造りに没頭。
天龍寺西芳寺の一局部で枯山水(石組みで滝を表現)を取り入れた。
日本庭園が観賞用から禅の山水思想を表す場への転機となった。

ここから龍安寺方丈庭園や大仙院書院庭園が登場するまでの空白。
これを埋めるのが禅の山水を表すもうひとつの世界、水墨画では?
水のない庭園、色のない絵画。どちらもなくすことで無限の美を表現する。

雪舟は水墨画を描き、枯山水庭園も造ったと言われている。
枯山水と水墨画。2つの完成にはお互いの融合が必要だったのかも。
雪舟の存在がより重要なのは「中国離れ」を意識した点にある。
水墨画を学びに行った中国で描いた 「四季山水図」が高評価。
この絵に「日本禅人等楊」と署名し、中国に学ぶものなしと帰国する。

江戸時代までの日本は、中国と決別した時に何かが生まれる。
これまで見てきた例だと、遣唐使廃止と日本語成立との関連のように。
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奇しくも美学の英雄、足利義政と雪舟は同時代を生きている。
そして日本絵画というと、雪舟からはじまっているような印象を受ける。
もっとも絵画の作者がはっきりしてるのが雪舟あたりからかもしれないけど。
雪舟をもっと調べたい。GW期間じゃ編集しきれないので今日はこのへんで。

参考文献
重森三玲「枯山水」
窪田慈雲「座禅に活かす 正法眼蔵」
松岡正剛「山水思想-負の想像力」
雑誌 一個人2011年8月号「日本の庭園入門」
前田恭二「やさしく読み解く日本絵画 雪舟から広重まで」