日本サッカー昔話(明治初期~第2次大戦前)

 大学生のとき書いたレポート見つけたから貼り付け保存。
 Jリーグ開幕から2002年ワールドカップを経て、ようやく日本に定着した感じのサッカー。その歴史は結構古く、第二次世界大戦さえなければ、今ごろ常時ワールドカップの優勝候補になっていたかも?……という残念な過去もあった、ってお話し


 日本にサッカーが伝わったのは1873年。イギリスのアーチフォールド・ダグラス少佐が東京・築地の海軍学校にサッカーを持ち込んだと言われている。
 当時、日本をはじめ世界各国で、最強国イギリスに追いつこうと、その文化や科学技術、指導や学問などすべてを模倣しようとしていた。これがきっかけにサッカーが急速に広まった。

 その後、日本では1902年に日英同盟が締結されると、イギリス人が英語教師として多数来日した。体育の授業等を通して、サッカーはさらに普及することになる。

 外国のチームとの対戦の機会も増え、日本側が勝った際には新聞でも大きく取り上げられるようになった。日清・日露戦争の勝利を経て、日本のナショナリズムが急速に勢威を増しつつあり、日本人が欧米に追いついたことを示す目に見える成果に飢えていたのだ。

 ただ、その後は、いまいち振るわない。アジアの大会で他国にまったく歯が立たず、人気は急速に衰える。しかし、1920年前半、突如登場した名将・ビルマ人のチョー・デインによって状況は一変する。彼の指導により、それまで古典的イングランドスタイルのキック・アンド・ラッシュ一辺倒であった日本サッカーは、ショートパスを軸とした、組織プレーを中心としたスタイルに変化していくことになる。これがやがて日本のお家芸となるのだ。

 こうして、徐々に力をつけた日本は、1936年ベルリンオリンピックで「ベルリンの奇跡」を演じることとなる。優勝候補の一角とされていたスウェーデンを相手に、前半2点のリードを許しながらも3-2の逆転勝利を収めてしまう。終了5分前の決勝ゴールは、相手DFをドリブルで抜き去り、GKの股間を破ったビューティフルゴールであった。スウェーデン国内では、屈辱のあまり、試合が録画されたテープの後半部分が片っ端から消去されたというのは有名な話。

 そしていよいよ次の目標は、1938年ワールドカップフランス大会。ベルリンの奇跡の効果で、サッカーは大人気。関東大学リーグの試合日には、明治神宮競技場(現・国立競技場)に1万を超す観衆が詰めかけた。また日本代表も、朝鮮出身の選手が加わり、かなりレベルが上がっていたという。日本サッカーの晴れ舞台がやってくるはずだったのだが……。

 日本はワールドカップ出場をかけて、オランダ領東インド(現・インドネシア)と対戦することになっていた。しかし、1937年7月におきた盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発し、その影響で日本は予選参加を取りやめることとなった。当時の実力から考えれば、ワールドカップ本大会に進めたはずだったのだが、政治・軍事情勢がそれを許さなかった。

 以後、日本サッカーは太平洋戦争、戦後のアメリカ文化の流入などのあおりをうけて、大きく衰退していく。そして、ワールドカップ初出場を果たすまでに60年もの歳月を費やすことになってしまうのだった。