思い出は美化され、偶然を必然と感じてしまう

富を手にした人。コツコツと貯めたものでなければ、それは偶然にすぎない。
でも、まぐれで転がり込んできた富であるにも関わらず、
過去を振り返って、自分があの時こういう決断をしたからうまくいった、
というように、まるで自らの判断が成功につながったかのように語りだす。
そして自信を持って語るその人を、人々は尊敬しカリスマとしてあがめる。
だがもともと実力や努力ではなく、運でつかんだにすぎないその地位。
ちょっとした環境の変化で吹き飛んでしまうものだ。

おそらく投資家は、この手の病に侵されやすい。
自らとったリスクが成功を導いたかのような妄想に陥ってしまう。
金融の世界なんて偶然だらけ。私たちができるのは運をつかむ努力だけ。
この辺のことをうっかり忘れると、後でとっても痛い目にあうことになる。

今読んでいる、ナシーム・ニコラス・タレブ「まぐれ」を受けて、
私もなんとなく頭の整理がてら書いてみた。
この本で取り上げられていたソロンとクロイソスの話も興味深い。
 →参考に;「誰も死ぬまでは幸福ではない」(山下太郎のラテン語入門)
ヘロドトス「歴史」の岩波文庫ワイド版が今月出版されたらしいから、
もう一度読んでみようかな。(普通の岩波は字が小さすぎて目が疲れる)